酒井玲子の日々

2009年9月15日(火)
 「酒井玲子の日々」をおとずれてくださって、ありがとうございます。
どうやってここにたどり着かれたかはわかりませんが、これも何かのご縁です。
酒井玲子ってどんな人間なの? と興味を持っていただけたら、時々のぞいてみてください。

 私自身は、一期一会を大事にしたいと思いながら日々生活していますので、そんな酒井玲子のつぶやき、出会った人々、読んだ本の感想、失敗談(たくさんあってこまるだろうなぁ)、もちろん仕事のうえで参考になるようなことも、色々と徒然なくままに書いてみたいと思っています。

 2023年7月26日(水)
 このページを書き連ねてから14年が過ぎました。なかなかマメに更新できませんが、これからも私が出会った出来事を書いていきたいと思いますのでどうぞお付き合いください。

追悼 大切な友人

事務所開所10周年に頂いた胡蝶蘭  園芸担当者の手により毎年花をつけます

2022年の誕生日に届いた花束と

2023年の誕生日

 2024年4月7日(日)

 昨年の5月にある男性が亡くなりました。私にとって友人というのも変な感じがする、不思議な関係のSさんは、色々なことを私に伝え、多くの物を残してくださいました。

 最初の出会いは私が社会福祉士の資格を取るための勉強をしている時、ボランティアで参加したある自治体の社会福祉協議会のお出かけイベントでした。そこに脳血管性認知症で車いすを利用しているお母様と一緒に参加していたのがSさん。タクシーを使った八景島シーパラダイスへのお出かけで、各家族に1名ボランティアが同行してお手伝いをすることになっていたのですが、まだ福祉の勉強途中で、ましてや介護の理論も技術も持ち合わせていない私は、車いすの操作も良くわからず、ただ、お母様を介助するSさんを見ていることしかできませんでした。何のために同行したのだろう、もっと何かできなかったのかなと、お出かけが終わってからもモヤモヤした気持ちが続いたので、そんな率直な気持ちをお手紙に書いて、Sさんに送ることにしました。
 すると、Sさんから「一度うちに遊びにいらっしゃい」とお誘いをいただき、ご自宅に伺ったのがSさんとのお付き合いの始まりになるのでしょうか。お話を伺うと、お父様は何年か前に亡くなり、一軒家のご自宅でお母様を一人で介護しているそうで、もちろんヘルパーさんは入っているけれど、デイサービスには行っておらず、介護についても一人で色々と研究してしっかりした考えを持ってやっていることが感じられました。
   その後は1年に1,2回お家に遊びに行くほかに、クリスマスにカードやちょっとしたプレゼントを贈り合ったり、誕生日にメールのやり取りをしたりということが続きました。遊びに行った時に教えてもらったのが、近くのケーキ屋さんで作っているという「タルトタタン」。Sさんはそれをお母様と「タッタラタン」と言い合って、3人で楽しく美味しく食べました。この「タッタラタン」の例のように、Sさんはとてもユーモアがあって、誕生日プレゼントは前後6か月いつでも受付中とメールに書いてあったり、そのやり取りはとてもほっこりするものでした。私の行政書士開業10周年に蘭を送ってくださったのもSさんです。

 何年かそのような時間が流れた後、お母様の具合が悪くなり、結局病院で亡くなられました。亡くなる少し前に病院にお見舞いに行くことができ、ご葬儀にも参列させていただきました。

 その後も思い出したように遊びに行っていましたが、ある時「しばらく冬眠するので連絡できなくなります」とのメールが。私はあまり深く考えもしないでいましたが、何か月後かに連絡が来た時には、癌になって入院治療していたとのこと。家に戻られてからも抗がん剤治療を続けていらしたようですが、なかなか合う薬がなく、色々と試しているとお聞きしました。

 その後も年1回程度お会いして近況報告し合うような感じでしたが、お亡くなりになる半年前位に、ご自宅近くの病院に仕事で行く用事ができたので、お会いできないかと連絡したところ、わざわざ病院まで迎えに来てくださって、ご自宅でお話ししたのが最後になってしまいました。ご病気のことも詳しいことは知りませんでしたし、よく考えたらご本人のこともほとんど何も知らないまま来てしまいました。
 私の誕生日には、ここ何年か花束を送ってくださって、お亡くなりになった年(2023年)の私の誕生日にも素敵なバラの花束が届きました。

 そして5月のある日、突然Sさんの訪問看護師さんから電話が。「Sさんが危ない状態です。やっと連絡してもいいとご本人がおっしゃったので、電話しました」との言葉に、しばらく状況が呑み込めないでいましたが、これは早く行った方がいい!と、入っていた約束を調整してご自宅に駆けつけたのですが、本当にちょっとの差で最期には間に合いませんでした。聞いたところによると、その前にも入院していたけれど、ご本人の希望でご自宅に帰ってきたところだったそうです。ご本人もこんなに早く逝ってしまうとは思っていなかったようで、これからまだやりたいこと、やらなくてはいけないと考えていたことがあったのだろうと思うと残念でなりません。 

 Sさんはご両親が既にお亡くなりになっているので、親族はご兄弟お一人だけですが、日頃からあまり関係が良くなかったうえに、そのご兄弟も体調が悪く、火葬、埋葬はお付き合いのあったお仲間が中心となって取り仕切ってくださり、私も立ち会わせていただきました。ご本人が亡くなってから初めてお会いした方ばかりでしたが、皆さん温かく輪の中に加えてくださって、私が知らなかったSさんの若い頃のお話なども聞かせていただきました。

 『ご縁』というのは本当に不思議なものだと思います。ちょっとしたきっかけで知り合ったSさん。私がお手紙を出さなければ、その後のお付き合いは無かったでしょうし、Sさんの生き方や考え方から色々と学ぶこともできなかったと思います。何よりユーモアの大切さを教えていただきました。これからも、気になることは自分なりに納得いくまでやって、色々なご縁を大切に、そしてユーモアを忘れずに生きたいと思います。

  このブログはずっと書きたかったのですが、うまくまとめられなくて、今頃公開することになりました。それでも思うようにまとまらず長文になってしまいました( ;∀;)。

もうすぐSさんの1周忌になります。感謝を込めて。

 

講演会「最期まで自分らしく生きる ~在宅医療の可能性と事前指示書の重要性~」 その2

2023年7月25日(火)

 NPO法人成年後見推進ネットこれからが主催した上記の講演会は、7月2日(日)10時~12時 石神井公園区民交流センターで開催されました。講師はその1でお願いすることになった経緯を記した高林克日己先生です。

 当日は日曜日の午前中、暑い中にもかかわらず100名を超す方にご参加いただきました、在宅医療や事前指示書について、あらためて皆さんの関心の高さを実感したところです。

 講演の前半は、日本の人口推移や今後の人口構成予測といった統計的な資料を示して、このままいくと少子高齢化がどんどん御加速して、老々介護や孤独死が増え、病院も満床で医療崩壊が起こることが予想されるので、救命第一という今までの医療に対する考え方を大きく変えなければ未来はないという話をされ、在宅医療へのシフトを提唱されました。高林先生曰く、医療資源や医療費の問題だけではなく、在宅医療がご本人にとって幸せだから勧めるのです、とのこと。在宅医療を受けながら自宅で過ごす患者さんの、穏やかな表情や素敵な笑顔の画像を披露してくださいました。

 後半は、人間の終末期にはどのようなことが起こるか、延命治療にはどのようなものがあり、自分の終末期の希望を書いておく事前指示書がないとどうなるのかというお話があり、事前指示書の重要性を説明されました。参加者にお配りした資料には、高林先生が提案される事前指示書も付けておきました。

 そして最後には、患者さんたちを連れて欧州旅行をした時(今までに21回も行かれているそうです!)の画像を映して、いきがいがあると人生は楽しく生きられることを強調され、「皆さんも楽しく生き抜きましょう」と締めくくられました。

 終了後に回収したアンケートには83名の方から回答をいただき、「このようなお話が聞きたかった」とか「帰ったら早速事前指示書を書こうと思います」といった声が多く見られました。

 お忙しい中で練馬にお越しくださって、貴重なお話をしていただいた高林先生には感謝の気持ちでいっぱいです。私は講演会の時に初めてお会いしたのですが、とても素敵な方で、もっと色々とお話を伺いたいと思いました。

 

↑ 講演会の様子   ↓ 高林先生

オレンジカフェアリスと関根奈々さんのコラボ展

2023年5月31日(水)

 光が丘のNPOむすびでやっているオレンジカフェアリスは、5/12-14の3日間、練馬駅すぐの練馬区立区民・産業プラザ(ココネリ)にある産業イベントコーナーにおいて、関根奈々さんとのコラボ展を開催しました。

 奈々さんは知的障害がありますが、独特のイラスト的な絵を描いて、展覧会で入賞したこともあります。その奈々さんの作品の展示と、関連グッズの販売をする一方、アリスに参加している方が作った作品の展示・販売や、水引アクセサリーのワークショップも行いました。
 中には95歳の方が丁寧に作って袋物もあり、93歳の方はお得意の布草履をコツコツ作って出品してくださいました。亡くなった奥様の絵を出してくださった方もいて、会場に花を添えてくださいました。
 当日はアリスの参加者が交代で受付や販売員を務めながら、自分たちも楽しみました。スタッフも含めると1日平均100人以上の来場者があり、初めての試みとしては良かったのではないかと思います。

 今回の企画は、アリスのリーダーが関根奈々さんのお母様と知り合いだったというご縁で、アリスとして奈々さんを応援したいという気持ちから企画されたものですが、アリスは高齢の方だけでなく、障害のある方も子どもたちも、誰もが安心して生活できる地域を目指す、インクルーシブな活動をしていることを発信する機会にもなったと思います。

 また、コラボ展を訪れてくださった福祉事務所の所長さんに、アリスで福祉事務所についてお話をしていただけないかと直談判(?)したところ、週明けすぐにご連絡をいただき、高齢者支援課かの方がアリスを見学に来てくださいました。また、コラボ展の隣のホールで「看護の日」というイベントをやっていたのを覗いてみた際には、地域の在宅看護の事業所さんにもアリスでのお話をお願いしたところ、こちらもすぐに連絡をいただき、近いうちにアリスに来てくださることになりました。これにはこちらからお願いしてみたものの、その反応の速さにこちらのほうがびっくりしてしまいました。なんとありがたいことでしょう!

 

コラボ展の隣に朝ドラ「らんまん」の主人公のモデルとなった牧野富太郎博士がいたので、一緒にパチリ!

NPO「これから」の講演会
「最期まで自分らしく生きる ~在宅医療の可能性と事前指示書の重要性~」 その1

2023年7月18日(火)

 NPO法人成年後見推進ネットこれからの今年度のメインイベントである講演会が、7月2日(日)午前中に石神井公園区民交流センターで開催されました。
 講師には「高齢者終末医療 最良の選択」の著者であり、松戸市の医療法人社団鼎会 三和病院顧問である医師の高林克日己氏をお迎えして、100名を超える参加者の皆さまが熱心に耳を傾けてくださいました。

 当日参加者にお配りした資料に、理事長としてのご挨拶文をつけたのですが、そこから抜粋したものを載せたいと思います。

 『…本日の講師である高林先生は、現在は松戸市の三和病院にお勤めで、ご自身が在宅医療にも関わって、地域に根差した医療を実践されているお医者様です。そのような高林先生を講師としてお迎えすることになった経緯を、ここで少しお伝えしたいと思います。
 私はNPOの活動を通して、また個人的にも成年後見人の活動を通して、支援している方の医療や看取りにも関わることが多く、また自分の家族や自分自身も最後の時をどうしたら自分らしく穏やかに過すことができるのか、いわゆる終末期の医療や介護の在り方について関心を持つようになりました。そんな時に出会ったのが高林克日己先生が書かれた『高齢者終末医療 最良の選択 ~その基礎知識と生き方のヒント~』(2016年 扶桑社)という本でした。それだけであれば、そのような書籍を出版されるようなお医者様、しかも千葉の病院の先生にご講演をお願いしようとは思わないのですが、そこに不思議なご縁がありました。
 後日、私の卒業した高校の同窓会誌を読んでいたところ、同窓会の記念講演で、卒業生であるお医者様が「最期まで自分らしく生きる」というタイトルでお話された内容をまとめたものが掲載されていました。そのご講演をされたのが高林先生だったのです。
 珍しいお名前なのできがつきましたが、そうでなければそのままになっていたかもしれません。そこにもご縁を感じてしまった私は、ぜひ「これから」の講演会でもお話をしていただきたいと熱望し、単に同じ高校の卒業生であるというだけの伝手を使って、厚かましくも先生にお手紙を書き、病院宛に講演の依頼書をお送りしました。
 ダメで元々の気持ちでしたが、直ぐにメールでおのお返事を頂戴し、しかも講演についても「いいですよ」と快諾していただきました。この時は、本当に「願いは通じるのだな」と感激したことを覚えています。それが2019年の秋ごろのこと。その後、新型コロナウィルスの感染拡大が顕著になり、せっかくの高林先生の講演会も残念ながら中止の判断をせざるを得なくなりました。
 それから2年たった2022年の秋。コロナの感染も少しずつ収まり、大勢の人が集まるイベントも開催可能になったのを機に、あらためて高林先生にご講演をお願いしたところ、今回も快くお引き受けいただいて、ようやく本日を迎えることができました。

 先生の今回のご講演のテーマは、私ども「これから」としても、個人としてもじっくり考えなくてはいけないこと、そして悩みつづけなくてはいけない大事なことだと思っていますので、本日は皆さまと一緒に学ばせていただきたいと考えております。
 そして、参加してくださった皆さまにとっても本日の講演が、ご自身やご家族、支援する方々のこれからを考えるうえでの一助となることを願いつつ、ご挨拶とさせていただきます。2023年7月2日』

小さな旅(2)

2015.8.30(日)

 木曽の旅二日目はやはり雨でしたが、思ったほどひどくはなかったので、馬籠宿、妻籠宿を散策することにしました。馬籠では石畳の坂道を歩き、店先で売っている「おやき」と「ぬれおかき」を食べて、島崎藤村の生涯や作品を展示してある「藤村記念館」に立ち寄りました。

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 妻籠宿は江戸時代の街並みが保存されていて、水車や高札場がそのまま残っていたり、郵便局の一角は「郵便資料館」になっていました。妻籠宿のお店でおいしいお蕎麦を食べ、次に向かったのは木曽福島に戻る途中、上松にある「寝覚めの床」。

  木曽川の激流によって刻まれた大きな花崗岩が並ぶ景勝地ですが、ここに「浦島太郎伝説」があるということを初めて知りました。            

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  浦島太郎が亀を助けて竜宮城へ連れて行ってもらったのは、今の京都の天橋立あたりということですが、戻ってみると親兄弟はもちろん親族隣人誰一人として知っている人がいなくなって、家もないのでそこに住むことができず、山の中をさまよううちに木曽にやってきて、釣りをしたり、村人に竜宮の話をしたりして暮らしていたところ、ある日お土産にもらった玉手箱を開けてみると、いっぺんに三百歳のおじいさんになってしまい、びっくりして目が覚めた。目を覚ましたということで、ここが寝覚と言われるようになったというお話しです。
 本来は床岩を渡って浦島堂というところまで行かれるのですが、小雨の中だったので、さすがにそこまでは行かずに、近くから色々な形の岩と木曽川の流れを眺めました。 

  これで今回の旅の目的地はほとんど巡ることができたので、木曽福島に戻り、レンタカーを返して帰路についたのでした。

 「田立の滝」の山道を今の体力で登れるかどうか、少し心配でしたが、時折フラフラして娘に「気をつけてよ!」と言われながらも、何とか上まで登って、下りて来られたので、自分でも自信がつきました。今回の旅で、田立の近くに「柿其渓谷」という秘境(?)があることを知ったので、次はぜひそこへ行ってみたいと思っています。

 貴重な夏休みに母に付き合って、ずっと車を運転してくれた娘には感謝です。また一緒に旅ができたら嬉しいなぁ。

小さな旅(1)

2015年8月23日(日) 

 お盆が終わった8月の16日(日)、17日(月)、久しぶりに遠出をしてきました。

 目的地は木曽郡南木曽にある『田立の滝』。木曽川水系の坪川を源流として花崗岩質の峡谷にあるいくつかの滝を総称して『田立の滝』と言っているようです。何年間か治山作業のため入山禁止となっていて2011年頃に入れるようになったので、機会があれば行きたいと思っていたところ、社会人の長女が夏休みを利用して付き合ってくれることになりました。

 当初のプランは、木曽福島を拠点にレンタカーを借りて、1日目は上松の寝覚めの床辺りを散策し、2日目に田立の滝へ行くつもりでしたが、17日は全国的に雨という予報でしたので、急遽木曽福島に着いたその足で、娘に運転してもらって田立まで行くことに。

 午後からの登りで、しかも体調の関係で自分がどれだけのペースで登れるかわからなかったので、夕方までに戻って来られるか不安もありましたが、いざとなれば途中で引き返せばいいということで、他の登山者が戻ってくる中を登り始めました。

田立の滝1

 滝を見ると言ってもほぼ登山と同じで、山道を登りながら次々に現れる表情の違う滝を眺めてちょっと休憩、という感じ。新鮮な空気と水の音を味わいながらではありましたが、汗だくになって、まるで滝に打たれた(ちょっとオーバー?)ような恰好で登って、なんとか不動岩展望台というところまでたどり着きました。苦労して登った後に見る遠くの山々や眼下の緑、久しぶりに自然の雄大さを感じることができました。

田立の滝2

 下りは誰にも遭遇せず、駐車場に着く頃には陽も傾きかけて、残された車は私たちのだけという状況でした。それでも雨にも遭わず、無事目的を果たすことができて、汗と泥にまみれた姿にはなってしまいましたが、爽やかな気分で木曽福島の宿に到着し、温泉でゆっくり汗を流して美味しいお料理を堪能しました。

田立の滝3

 普段はまだ頭が痛くて時折フラフラするのですが、なぜか自然の中にいると元気になれるようで、娘によると「お母さんは野生(?)のほうが合ってるんじゃないの」…う〜ん、確かに!

2015.7.7(火)

 きょうは七夕です。梅雨真っ只中できょうも雨かなと思っていましたが、星は見えないものの雨は止んで空を見上げることができました。

 子どもたちが小さい間は短冊に願い事を書いて一緒に飾り付けたりしていましたが、ここ何年も母が短冊を作って渡しても相手にされなくなってしまいました。それでも半ば意地になって(?)毎年小さな笹を用意して短冊に願い事を書き、折り紙で星やちょっとした飾りを作ってくくりつけてはベランダに出しています。

 七夕だけでなくて節分の豆まきやひな祭りといった季節の行事について、子どもが育ってしまうとその子どもたちがあまり興味を示さなくなり、だんだんおざなりになってしまうように感じます。私個人としてはそれではなんだか寂しいので、そんなに大々的にはしなくても、季節感や行事の持つ意味を大事にしていきたい、家族があまり関心を示さなくても、しつこく節分の豆をまき、短冊に小さな願い事を書いて笹に飾りたいと思っています。

 さて、織姫と彦星は天の川を渡ってデートできたのでしょうか? 星に願いを

2015.7.5(日)

 練馬の商店街にある「ビーンズアクト」は珈琲豆屋さんでありコミュニティスペースの役割もしています。そこで毎月第一土曜日の午後「プレケア・カフェ」という集いが開かれています。

 立ち上げのきっかけとなったのは、2012年8月、NHK厚生文化事業団制作の認知症ケアに関するDVDをレンタルし上映会を開いたことでした。その後、参加メンバーの中にも介護まっただ中、介護予備軍、あるいは介護を経験されたりと、様々な状況が生まれました。個々に悩んだり、情報を収集したり、経験を積んだ中から、相互に介護や自らの老後の準備などを語り合い、情報や経験をシェアする場があってもいいよね! ということになり、上映会に参加された方々を中心に店主の蜂谷さんの呼びかけで、2014年2月2日に第1回の会合が開かれ、プレママ教室ならぬ、プレケア・カフェと名付けて1ヵ月に1回、第一土曜日の午後に、プロ・アマ、男女・年齢問わず、コーヒーを飲みながら、介護や老後のことを話すという「ゆるゆる」な活動が始まりました。

 自治体や行政の取り組みの紹介、認知症について、成年後見人制度、遺言状の書き方、若年性認知症についてなど、専門家を迎えて話を伺ったり、介護をされた方、現在されている方の経験談などを聞きながらのフリートークが中心です。

 私は社会福祉士として成年後見制度のこと、行政書士としては遺言書についてお話しさせていただきました。お話しといっても構えたものではなく、成年後見制度については、実際に制度を利用しようとした場合にどのような手続きが必要になるのか、費用はどれぐらいかかるのか、親族が後見人等になった場合のメリットとデメリット等、遺言書がテーマの時には自筆と公正証書の違いや、どんな場合に遺言書があったほうがいいのか等々実用的なことを、参加者の皆さんの興味や必要に応じてお話しするという形でした。

 また、私も参加者として高齢者施設を選ぶ際の考え方や若年性認知症のご家族の話等はとても参考になりました。フリートークでは、親の介護でこんなことに困っているという話や、あそこの医師は対応がとてもよかった等身近な話も多く、「それってどこのお医者さん?」ということになり、自分の生活している地域の情報が得られるというのもこのカフェのいいところではないかと思います。

 7月のカフェの際には、認知症の義父の介護について、義父と一緒に生活している義兄夫婦に対して何がしてあげられるのか悩んでいる若手女性参加者が、ショートステイの利用を勧めようかと思っていると話をすると、実際に義父を介護している嫁の立場の参加者から、「直接あなたが言うと素直に受け取られないかもしれないから、ケアマネジャーから提案してもらうといいわよ」といった声が上がり、若手参加者は「なるほど」と納得した様子でした。こんな感じで、介護する側も実の娘であったり嫁であったり、色々な立場の参加者がいるので、それぞれの経験からくる声が聴けて、とてもいいなぁと思います。

 介護する人は自分の生活している地域での身近な情報を知りたいと思ってるので、このような情報やすぐに役立つ知識、自分と同じような立場の人の経験談を気軽に聞くことができて、ほっとできる場はとても大切だなと感じます。

 練馬の小さなお店の片隅でやっている点のような活動が色々なところに広がって、介護している人や自分の老後をどうしようかと悩んでいる人、色々な人がちょっとほっとできて自分の欲しい情報が得られるような行き場所が、練馬の中にも増えていくといいなと感じるこの頃です。

*2015年6月14日 

 昨年の年頭にご挨拶を載せてから、1年半が過ぎてしまいました。実は昨年は体調を崩してしまい、しばらく療養生活を送っておりました。

 最初は吐き気で食事が摂れなくなり、消化器系を調べても特に異常はないということで、なかなか原因がわかりませんでした。そのうちに顔面や指先に痺れが出てきて、結局は神経難病の一種である視神経脊髄炎(NMO)という病気と診断されました。

 お陰様で今は炎症は治まって、再発予防の薬を飲みながら、仕事についてもできる範囲でやらせていただいております。今までは元気だけが取り柄と思って飛び回っておりましたが、これまでのように身軽に動けなくなってしまったのが残念です。

 ただ、病気になったことで、自分が今までたくさんの方々にどれだけ支えられてきたかということをあらためて感じることができ、普通に日常生活が送れることのありがたみが身に染みました。

 具合が悪くなってから診断がくだるまでの経緯や、病気になって感じたこと等については、コラムのほうに少しずつ載せていこうと思っています。

 仕事についても、これまで以上にご相談者やお手伝いさせていただいている方々のお気持ちを大切にした対応を心掛けたいと思っておりますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

2014年 新年のご挨拶

*2014年

   謹んで新年のご挨拶を申し上げます*

  2013年は皆さまに支えていただき、無事過ごすことができました。
 応援してくださった皆様に感謝申し上げるとともに、本年も
 どうぞよろしくお願いいたします。

  昨年は仕事では成年後見活動が増え、練馬区内を走り回る毎日でした。
 また、学生時代や職場、地域でかかわった方々が、それぞれに色々な場所で
 活躍したり、頑張っている姿に接する機会が多く、そういう方たちの生き様に
 触れると、私も頑張ろうと元気をいただきました。

  今年もそういう方たちの音楽ライブや展示会、セミナーに足を運んだり、会って 近況報告をし合う機会を多く持ちたいと思っています。

  そして、私自身は馬のように地道に歩を進めながら、飛躍できることを願いつつ
 毎日を大切に過ごしたいと思っています。
 成年後見活動と行政書士としての仕事に加え、自分たちが安心して楽しく生活できる環境を
 つくるために地域活動にも力を入れたいと考えています。

  皆さまにとっても、どうぞ良い1年となりますように!

ドキュメンタリー映画(『空とコムローイ』『風のなかで』)

2013.9.16(月・祝)

 先日、渋谷アップリンクにてドキュメンタリー映画を2本見てきました。三浦淳子監督『空とコムローイ〜タイ、コンティップ村の子どもたち』と杉並区にある中瀬幼稚園の年長組の子どもたちの1ヶ月間を追った『風のなかで むしのいのち くさのいのち もののいのち』 。どちらも子どもが自然の中で、子ども同士の中で、そしてしっかりした大人の見守りの中で成長していく姿がそのまま映し出されていて、ドキュメンタリーだけれど色々なドラマが詰まっていました。上映後には三浦淳子監督と中瀬幼稚園の井口佳子園長とのトークショーもあり、その中で、『子どもの成長には覚悟を持った大人の存在が大事。今はそういう大人が少なくなったのではないか』との話があり、本当にそうだと思いました。今の子ども達の状況は大人の責任ですもの。自分自身も反省…。

http://www.kazenonakade.com/


http://www.tristellofilms.com/scom.html


http://www.uplink.co.jp/movie/2013/15896

認知症サポーター養成講座と地域の見守り活動

2013.8.4(日)

 先日、光が丘区民センターにて「認知症を地域で支える〜認知症サポーター養成講座」に参加しました。認知症の方への声掛けや接し方についての講習の後、光が丘地域の見守りの取組みについても説明がありました。 区内6生協が連携して、安心して暮らせる街づくりを目指す「福祉のまちづくり・練馬」と福祉事務所、高齢者相談センターの主催です。配送や診療で地域に入っている生協が日頃から地域の様子に目を配り、関係者と連携して見守りをするという取り組みはいいなぁと思いました。

 認知症サポーターのことは知っていましたが、今回は区内の6生協と行政、民生児童委員、社会福祉協議会が連携して地域での見守りに取り組むということで、どのようなことをしているのか興味があって参加しました。そこに地域の住民が加わって、地域の人を地域で見守るという体制ができると、少しでも安心して生活できる地域になるのではないでしょうか。

 参加者には認知症サポーターのしるしとして「オレンジリング」が配られました。

高齢者の経済状況と社会保障費の世代内負担

2013.5.19(日)
 
 本日、ねりま社会福祉士会総会に参加してきました。総会後には記念講演として長く練馬区の高齢者福祉に携わり、昨年から田園調布学園大学に転身された今井伸先生による「高齢者の貧困と介護保険における負担の在り方について」のお話がありました。
 
 増大する高齢者の社会保障関連費用を誰が負担するのかという議論のほとんどは、現役世代が支えるという世代間支援の考え方に支配されている。
 一方、高齢者の経済的状況を統計等から検証すると、平均値で語られることの多い「高齢者金持ち論」の実態は、多くの低所得高齢者の存在とともに、高所得高齢者も少なからず存在することを示している。所得の多寡にかかわらず医療や介護の普遍性を担保するためには、現役世代の負担をあてにしないで、高齢者世代内での負担の分かち合いが必要である。
 では、なぜ高齢者にかかる費用を同じ高齢者世代の高所得者に負担させるという施策への転換が進まないか。社会保障の充実を強く願うのはその恩恵を受ける高齢者とその前段階の50歳代であるが、それらの世代は人口も多く、選挙に行く割合も高い。つまり、選挙では彼らの声が大きくなるので、政治家は彼らを向いて仕事をする。高齢者世代内での支援を掲げて立候補したら、負担が増える高齢者層の票は逃げていくので、普遍的な社会保険の構築を目指して高齢者の負担増を訴えることは選挙に負けることを意味する。
 だからといってこのまま施策の転換を行わずにいると、普遍的な制度構築どころか、現役世代に負担を押しつけることで制度破綻を招く。
 今こそ増大する社会保障費の負担の在り方を根本から考え直し、高所得高齢者の負担を増やして、世代内支援を実現すべきとのご意見でした。
 
 制度の転換を図るためには、若者や現役世代が自分たちの将来の希望を託せるような選挙制度にならないといけないのかなという気持ちにもなりました。

2013.3.2(土)

光が丘で介護事業所をしながら、地域活動にも熱心な「NPOむすび」で、『30年後も団地で暮らそう〜これからの暮らしは自分たちでつくる〜』というイベントがあったので、参加してきました。
千葉大学大学院工学研究科の学生さんが中心になって企画したもので、第一部はそこの教授である小林秀樹氏による『高齢者の置かれている住宅事情&将来像―団地を中心に―』という講演。
第二部が『これから先30年の暮らしについて』と題したワークショップでした。
 ワークショップは参加者を高齢者、若者、子育て世代のグループに分けて(参加者の属性で分けたわけではないです)、それぞれにとって魅力的な地域になるためには、何が必要かといった視点でワイワイと。

 私は若者チームでしたが、団地内にコンビニがない、24Hやっている飲食店があるといいといったことから、空いているUR賃貸マンションのワンフロアを若者に期間限定で安く貸して、ドアにペイントしたり、自由にできる空間として、光が丘の良さを体験してもらえば、その後も住み続けてくれるのではないか。
光が丘のアクセスの良さをアピールして、学生が住みやすい地域にできればいいのでは、等々色々な意見が出ました。
 また、地元の団地を扱って25年という不動産業者の代表の方も参加していて、若者が住みやすい団地になるには、元から住んでいる高齢世代が、若者を受け入れるための体制、意識改革することも必要だと感じているとの話があって、なるほど、と思いました。

2013.2.27(水)

 お亡くなりになった方の相続手続きの際に、遺言書がない場合は法定相続人全員での遺産分割協議が必要になります。その際に法定相続人の中に認知症や障がい等で判断能力の不十分な方がいらっしゃる場合は、その方の代理人となる人を決めて、代理人が分割協議に参加して分割協議書に署名押印することになります。つまり、成年後見制度を利用する必要が出てくるわけです。

 もともと後見制度を利用していて、第三者の専門家が後見人等として就いている場合は、その後見人等がご本人の代理でご本人のために分割協議を行えばいいのですが、同じ立場の法定相続人となるご親族が後見人等になっている場合、利益相反と言って、遺産分割協議についてはご本人の代理をできないことになっています。そのため、分割協議を含めた相続に関してだけ『特別代理人』という人を立てて分割協議を行うことになります。『特別代理人』は相続に関係のない遠い親族あたりがなる場合が多いようで、相続手続きが終われば、その役目も終わりになります。

 成年後見制度を利用していないけれど、判断能力が不十分な方が相続人になっている場合、まずは成年後見制度を利用するための申立てをして親族が後見人等となり、それから特別代理人選任の申立てを行うという2段階が必要です。

 先日、まさに上記のような相続案件のご相談があり、親族が候補者となる後見の申立てと同時に特別代理人選任の申立てができるのかどうか、東京家裁の後見センターに問い合わせてみました。

 回答としては、『特別代理人を選任するためには、まず成年後見人等の選任がされていないといけないので、同時にはできない』というものでした。ただ、『後見の申立て時点で、相続が発生しているので、後見監督人を就けてほしいということを伝えてもらえれば、監督人は後見の審判と同時に決められるので、相続に関しては監督人が本人を代理して行えます』というアドバイスもいただきました。

 申立てを2度行わなくてはいけない手間を省けるという面ではいいと思いますが、後見監督人が就くということは、相続手続きが終わっても、ずっと監督人の立場は続き、それに対しては報酬も発生するということになります。それを考えると、多少時間がかかってもよいということであれば、まずは親族がご本人の成年後見人等に就任して、それから相続のためにだけ親類等に『特別代理人』を依頼して分割協議を行うということが、一番合理的なのかもしれません。

2012.10.6(土)

 前回コミュニティビジネスについての永沢映さんのお話を聞いて、とってもワクワクしたということを書きましたが、ちょうど永沢さんが代表をしているNPO法人コミュニティビジネス サポートセンターで『コミュニティビジネスアドバイザー(CBA)認定講座』が開催されるというので、そこに参加することにしました。

 コミュニティビジネスアドバイザーはコミュニティビジネスサポートセンターが認定するCBをサポートするために必要な資質を備えた専門家ということで、CBを起業したい、CBで働きたいと希望する方に対して広い視点でサポートし、助言するために、地域のネットワークづくりから事業プランづくりまで、CB独自の視点でアドバイスを行う専門家を養成することが講座の目的となっています。 

 5月から始まって、全6回の講座では、『コミュニティビジネスとは』という基本から、成功と失敗両方の事例、法人格の選び方、地域ネットワークづくりのポイント、補助金・助成金といったことについての知識と、アドバイザーとして相談を受けるための演習を行いました。 そして、最後の回では総まとめをした後に筆記と演習による認定試験。久しぶりの試験で緊張しましたが、筆記は持ち込み可ということだったので、なんとか記入して終えました。演習の試験では、試験官がCBの相談にやってきた人になって、それぞれ色々な設定で相談を持ちかけるのを、我々が対応するということをしました。意地悪(?)な試験官もいて、対応に苦労した人もいましたが、なんとか終了してあとは結果待ち。

 2週間後に郵送されてきた結果は、一応『コミュニティビジネスアドバイザーとして認定します』というものでした。よかった! ほっと胸をなでおろしたのでした。

 この講座を受けてみて、私にとって一番の収穫は、全国のコミュニティビジネスの実践事例を色々と知ることができたことと、一緒に講座を受講した仲間とはもちろん、Facebookを通じて全国でCBにかかわっているたくさんの方とつながりができたことだと思っています。

 CBアドバイザーの次のステップとして、CBコーディネーターの認定講座もあるのですが、さすがにそちらは今回は受けませんでした。

 今後もCBにかかわる活動をしている全国の先輩方の活躍に刺激を受けながら、地元のCBをサポートしたり、いずれは自分でも何かできたらいいなと考えています。

2012.10.4(木)

  コミュニティビジネスという言葉を見聞きしたことのある方は多いと思いますが、実際はどういうことなのか、はっきり説明できる人はそんなにいないかもしれません。私もそういう中の1人だったのですが、今年の3月に東京都行政書士会の研修でコミュニティビジネス(CB)について、考え方や各地の実践事例について、NPO法人 コミュニティビジネスサポートセンターの代表である永沢映先生のお話を伺う機会がありました。

 コミュニティビジネスとは、ひと言で表現すると「地域の課題を、市民がビジネスの手法で解決する事業活動」となるでしょうか。

 地域の抱える課題や問題を解決するためには、効率的で安定的かつ継続性のある活動が必要です。そのためには事業として収益をあげていくことが大切で、そこには「ビジネスの視点や手法」を活用することが欠かせません。

 今の時代、地域・コミュニティが見直され、地域の特性を活かしたまちづくりやお互いに顔が見えて助け合えるコミュニティづくりが言われるようになりました。コミュニティビジネスはそこで生活する地域住民が活動主体となることによって、自己実現や社会貢献を果たすことができる満足感や生きがいを感じることができるので、地域社会全体の活性化にもつながるものです。

 色々と理屈を並べてしまいましたが、私がコミュニティビジネスに興味を持ったのは、永沢先生のお話を聞いて、とてもワクワクして楽しかったからです。全国のコミュニティビジネスの事例をいくつか紹介してくださったのですが、それぞれの地域で、地域の特性に合わせて、そこにある課題を解決するために、色々な人や機関が繋がって、工夫して様々な活動を展開していて、その活動が軌道に乗ると、地域の課題も少しずつ良いほうに向かい、かかわっている人たちが元気になっていく様子が伝わって、本当に『ワクワク』というのが私のそのとき感じた気持ちにぴったりです。

 それで、単純な私は「私もこんな活動にかかわっていきたい」と強く思ってしまったのでした。

2012.9.23(日)

 行政書士の立場から、皆さまには元気なうちに、ご自分の意思をはっきり記した遺言書を作っておくことをお勧めしていますが、特にお子さんのいらっしゃらないご夫婦の場合は、ご両親もすでにお亡くなりになっていると兄弟姉妹が法定相続人となり、もしその方も亡くなっていてお子さんがいる場合は、亡くなったご本人の甥姪にまで相続権が移ります。甥姪というと、普段あまり交流がないことが多いでしょうから、遺産分割協議をするのも大変です。そういう場合、『配偶者にすべての財産を相続させる』という遺言書を作っておけば、兄弟姉妹には最低取り分である『遺留分』もありませんので、遺言書のとおりに財産をすべて配偶者に相続させることが可能です。

 ただ、多くの方々が遺言書を作っておいたほうがよいということはわかっていても、なかなか実際に実行に移すまでには至らない、一歩が踏み出せないことが多いようです。

 先日ご相談を受けた事例で、もう少し早くご相談いただければ…ということがあったので、ご紹介します。

 遺言書作成のご相談だったのですが、ご本人はご主人を亡くされてお子さんがいない90歳を超えた女性です。この場合もご本人が亡くなった場合はご兄弟(9人兄弟)が相続人となるのですが、ご本人が90歳を超えているので、ご本人より上の兄弟はすでに亡くなられていて、相続権はその子どもたちに代襲されます。ご本人の下の兄弟姉妹3人は健在で皆さん仲が良く、ご本人の面倒もよくみているようでした。この状態でご本人に万が一のことがあると、甥姪もたくさん登場して、相続人に連絡を取るだけでもひと苦労となることが予想されます。そのため、すぐ下の弟さんが中心になって、「財産がほしいわけではないけれど、このままだと手続きが大変だから、遺言書を作っておいてほしい」ということをご本人にお願いして、ご本人もそれならすぐ下の弟に全部任せるから、というお話にはなっていたようです。ただ、やはりなかなかそれを実行に移せず、ようやく「それでは」とご本人もその気になった矢先にご本人が体調を崩してしまって入院、検査の結果、色々と具合の悪いところが見つかって、そのまま自宅には帰れない状況となってしまいました。

 その時点で私のところにご相談をいただいたのですが、最初にご兄弟からお話を伺った時点では、無理に遺言書を書かせようとしているようには思えませんでしたが、あくまでもご本人の意思を確認しないといけないということと、ご兄弟も入院してからご本人の判断能力が落ちてきていて、時々辻褄の合わないことを言ったりするということを心配されていて、ご本人の判断能力が遺言書作成が可能な程度なのか、ということも確認できないと公正証書遺言はつくれない状況でした。

 いずれにしてもご本人が遺言書を作りたいということと、どのような財産があって、それをどのように分けたいかということをはっきり意思表示できないと遺言書の作成は難しいので、ご本人の入院先に伺ってお話をさせていただきました。医師の診断書があればより確実かと思いますが、入院先の医師は病院で遺言書を作成することは構わないが、病院側には関係がないというスタンスのようでした。

 私がお話を伺った際には、昔の話を何度もしたり、認知症的な感じもありましたが、財産は弟にすべて残して後はお願いしたいとおっしゃったので、私だけでは判断しかねる部分もあり、遺言書の作成能力については、公証人にご本人と面会して判断していただくことにしました。

 幸い公証人の先生が都合を付けてすぐに来てくださったので、私も立ち会って再度遺言書作成についての確認を行いました。最初のうちはやはり「遺言書は作っておいたほうがいいと思います」とはっきりおっしゃっていたのですが、お話をするうちに、ご主人が生きていて昨日も一緒に食事をした、というようなことを口にされ、財産についてもある程度の預金をお持ちのはずなのですが、「たいしてありません」とお答えになるなど、私も聞いていて、「あ〜これは難しいな」と思いました。 案の定、公証人からは「この状態では無理ですね」と言われ、私も「そのようですね」とお答えするしかありませんでした。

 ご兄弟も半分は難しいだろうと思われていたところもあり、しかも公証人がすぐにご本人に面会して確認してくださったので、「それなら仕方がない」と納得されました。「それにしても、もう少し早くに遺言書を作っておけば・・・。こんなにすぐ本人の判断能力が衰えてしまうとは思っていなかった」と残念そうでした。

 この事例のご兄弟は、日頃からご本人のことを気にして色々と手伝っていたという経緯があり、入院中もご本人の家に泊まりこんで毎日病院に通っていらしたので、悪意があるとは思えませんが、同じようなシチュエーションで、ご本人の意思ではなくて兄弟姉妹が本人に自分たちに有利な遺言書を書かせようとする場合もありがちなので、遺言書はあくまでも本人の意思で、自分の財産をどのようにしたいか、ということがはっきり確認できないと作成のお手伝いもできないということを肝に銘じています。

 遺言書なんてまだ先のこと、と思っている方も多いでしょうが、人生いつ何が起こるかわかりません。特にお子さんがいないご夫婦、再婚している等で家族関係が複雑な方等々、遺言書があることで残された方がもめずにすむこともあります。認知症になってしまうと遺言書は作れません。元気で色々と考えられるうちに、まずは自筆でも構わないので、遺言書を作っておくことをお勧めします。

2012.9.10(月)

 このコラムに時々登場する『地域福祉おたすけ隊』ですが、普段は「お出かけ企画」として大江戸線を利用して行かれるところを中心に、地域の高齢者の方たちと小旅行を楽しんでいますが、年に1回歳末助け合い募金の助成金を利用して、「大人の社会科見学 食の安全を考える」をテーマに、日帰りバスツアーを行っています。今年は横浜方面ということで、「味の素川崎工場」を見学した後、横浜中華街でランチを食べ、みなとみらい地区に新しくできた「日清カップヌードルミュージアム」に寄って帰ってきました。

 『地域福祉おたすけ隊』のお出かけ企画はだいぶ定着してきて常連さんも増え、お出かけの際に次回の企画を発表すると、すぐもう予約される方もいるぐらいで、今回のバスツアーも一般に広報する前に定員いっぱいとなってしまいました。

 10日ということもあって、道路が混むのではないかと心配しましたが、行きも帰りもとても順調でした。行きは少し遠回りをして、新木場から新しくできた「東京ゲートブリッジ」を通過して川崎方面へ。

 川崎大師近くにある味の素工場は、東京ドーム8個分の敷地面積があり、3000人超の従業員が働いているそうです。工場の入り口すぐのところに京浜急行大師線の『鈴木町駅』があり、これは味の素の創業者である鈴木三郎氏にちなんでつけられたとか。まさに味の素のための駅でした。 味の素の「うま味」の発見と原料や製造方法等についての説明を受けた後、味噌をお湯で溶いただけのものに「味の素」を加えると味はどう変化するか、ということを実際に体験しました。確かに味にコクが出て、単なる味噌湯に比べておいしくなったと感じます。これが「うま味」なんだ、と実感。

 ほんだしの製造工程を見学して、最後には売店に案内され、賞味期限が近いけれどお得な味の素商品を見ると、つい買ってしまい、皆さんだいぶ荷物を増やしておりました。さすが、商売がうまい。

 その後バスで横浜中華街へ。予約しておいた「酔楼」というお店でランチを楽しみました。中華というと丸テーブルを囲んで皆で取り分けるイメージですが、今回はワンプレートに14種類の中華料理が載って、1人ずつ供されるもので、1人前980円。結構なボリュームでおいしかったです。

 次に行ったのは、みなとみらい21地区にちょうど1年前に開館した「日清カップヌードルミュージアム」です。ここの目玉は「 マイカップヌードルファクトリー」といって、世界でひとつだけのオリジナル「カップヌードル」を作ることができる工房ですが、さすがにここに50人の団体は参加できないので、我々は館内を見学するだけでした。上階には横浜港を見渡すテラスもあって、景色を眺めるだけでも気分爽快。若い人や小さいお子さん連れも多くて、結構人気スポットとなっているようです。

 おたすけ隊のスタッフは現在10人前後ですが、毎月定例会議を開いており、お出かけ企画を立てるときには、まず場所の選定から工場見学の予約、スタッフの担当者が下見をしてお昼を食べるお店を選んだり、皆さんを案内する行程、見学スポットを考えるといった準備をしています。今回もいかに参加してくださった皆さんが安全に楽しく過ごしていただけるか、スタッフ一同心がけたつもりです。そして、無事に光が丘に到着して、皆さんが笑顔で「ありがとうございました」と帰って行かれる姿が、私たちにとっての元気の源、次への活力となっています。

2012.9.1(土)

 静岡県富士市にある重度障害者の生活介護事業所「でら〜と」の設立から5年間の取り組みを記録したドキュメンタリー映画『普通に生きる』を見ました。下記に映画の公式ホームページのURLを載せておきますので、興味のある方はぜひご覧になってみてください。

 http://www.motherbird.net/~ikiru/

 

 このタイトルに接したときから、そもそも『普通』ってどういうことだろう…と考えてしまいましたが、映画の中で「でら〜と」の職員心得に『−普通ーという概念は時代とともに変化していく。常に社会から学び、自分も成長していく姿勢を大切にする』と書いてある場面が出てきます。『普通』という概念は、確かにその時々によって変化するものです。昔は当たり前だったことが、今の時代では通用しないといったことがたくさんあります。重い障害のある人たちは、かつては家の中に隔離され、世間には知られないようにひっそり暮らしていました。やがて1人の人間として尊重され、福祉による支援の制度も整備されてきました。それでも、障害者の家族、特に障害を持って生まれた子どもの親は、自分がこの子を守らなければ、という気持ちが強かったと思います。そこに、いわゆる『親亡き後』という問題も生じてきました。

 でも、この映画に登場する親たちは、もちろん自分の子どもに障害があるとわかった時には、なかなかそれを受け入れられずに悩み、悲しみ、死まで考えたという人がほとんどですが、子どもたちと生活するうちに、その子どもたちの笑顔や生命力に自分たちのほうが力をもらって、子どもの自立や自己実現をめざすことはもちろん、自分自身の自己実現にも取り組むようになっていきます。そして、自分たちで動いて必要な施設や制度までをつくってしまうのです。

   何より画面に登場する人たちの活き活きとした表情、笑顔を見ているだけで、本当にこちらの心が洗われるような気持ちになります。彼らの存在そのものがすばらしいことなのだと心から感じました。

 また、自立、自立と言いますが、なんでも自分でできることが自立なのではなくて、他人の支援を上手に受け入れて、自分の生活を成り立たせることができることも立派な自立なのだと気付かされます。

 この映画は今年の初め頃からミニシアター等でロードショーされていましたが、関東地域でのロードショーは終わってしまったために、私は杉並区の浴風園という介護施設の中のホールを借りて、NPO法人が開催した自主上映会に足を運んでみました。たまたまこの映画を作成した「マザーバード」の本拠地が杉並だということで、制作スタッフで撮影とプロデュースを担当した貞末麻哉子さんがいらして、上映後に映画にかける想いや撮影エピソード等をお話ししてくださいました。それがまた、映画を観終わったあとに聞くと、とてもわかりやすく、より映画の理解に役立ちました。

 貞末さんのお話の中で、私の心に特に残ったのは、制度が最初からあったわけではなくて、必要に迫られた人たちが、色々な壁を突破してつくりあげてきたものだということです。

 この映画、ロードショーが終了してからも口コミで評判が広まり、各地で自主上映が行われているようです。新聞等にも取り上げられています。なかなか重度の障害のある方に接したり、触れ合う機会がない人が多いと思いますので、少しでも多くの方に彼らの素敵な笑顔に接して、彼らのことを知ってもらうことが、誰にとっても生きやすい社会になるための第一歩かもしれません。

 思わず「ありがとう」と言いたくなる映画でした。

2012.7.24(火)

 先日私の住んでいる団地で月に1回開催されているサロン「ぎんなんの会」で「人生の最終章を考える 知って安心遺言書の書き方とエンディングノートの活用法」と題して1時間程度のお話をさせていただきました。

 毎回参加者は10人から20人といったところですが、今回も15名が集まってくださいました。自分の人生を物語にたとえて、その締めくくりは自分でどうするか、考えておきましょうというお話から、遺言書の種類と書き方、遺言書を作ったほうがいい場合、そして、正式な遺言書を作る準備段階として「エンディングノート」を書いておくと、いざというときにご家族や周りの方にあなたの意思が伝わりますよ、という内容になりました。

 お話の後には、参加した皆さんから、ご自分の経験や疑問点を出していただき、率直な意見交換ができました。中でも、少し前にお父様を亡くされた方がお話ししてくださったことが、とても印象に残りました。

 お父様は「日本尊厳死協会」の会員になっておられて、いわゆるリビングウィル(尊厳死の宣言書)を作成されていたそうです。そして、いざご病気になって延命治療をどうするかという段階になったときに、医師から「どうしますか?」と聞かれたご家族は、そのリビングウィルがあったために、「それが本人の意思ですから」ということで、医師の「本当にいいんですね」という問いかけにも揺らぐことなく、ご本人の意思を尊重する選択ができたということでした。
 確かに事前に本人が「万が一のときにも延命治療はしないで、自然のままにしてほしい」と話していたのを聞いていたとしても、いざ弱っている本人を前にしたら「できるだけのことはしてください」と医師にお願いしたくなるのは心情として当たり前だと思います。そういうときに、きちんと形になったものがあると、それを拠り所として、医師にも本人の希望を伝え、結果として本人の意思が尊重されることになります。
 その方の体験談を伺って、リビングウィルの必要性をあらためて実感しました。

 いずれにしても、地域の皆さまに遺言や相続についてのお話をする機会をいただけて、とてもありがたく思いました。もし皆さまのご要望があって、次の機会があれば、成年後見についてもお話できたらと思っています。

2012.7.19(木)

 私の住んでいる団地で月に1回、 団地の集会所を会場にして、誰でもが集っておしゃべりしましょうというサロンを開いています。時々はテーマを決めて、講師を招いてお話をしていただくということもしています。今までには「光が丘の野鳥の話」、「東日本大震災後に現地に行かれた方の話」、「災害時のトイレについて」、「収納アドバイザーの方の話」等々、それから地域包括支援センターの職員からお話を伺ったこともあります。

 そのサロンで一度行政書士としてお話をしてください、と以前からご依頼をいただいていたのですが、7月にその機会をいただけることになりました。何についてお話ししようか、とずっと考えていて、参加者の皆さんにも「どういうことを知りたいですか?」と投げかけもしてみたのですが、なかなか具体的なテーマが出てこなかったので、まずは遺言書の書き方と、その準備段階として「エンディングノート」を書いてみましょうというお話をしようと思っています。

 それぞれの人生はひとつの物語だと思います。自分の物語の最後をどう締めくくるのか、自分で考えておくことは大事なことだと思います。考えたからといってその通りになる訳ではないと思いますが、少しでも自分の思い描く最期に近づけたら、それこそ思い残すことのない素敵な物語のエンディングが迎えられるといいなと思います。

 遺言書やエンディングノートは、自分自身がどうしたいかという意思の表明であるとともに、残される家族のための思いやりという意味もあるのではないでしょうか。

 どんなお話ができるか、不安ではありますが、そこに集った皆さんにとって、自分の物語の最終章を考えるきっかけになればと思っています。

 

ぎんなんの会7月ポスター2012.7.doc

2012.6.4(月)

 練馬区では「地域福祉パワーアップカレッジ」という、地域福祉を担う人材を養成する講座を行っています。その受講生のおひとりが練馬区豊玉のご自宅で「おかずやカフェ」というランチやお茶を出すこじんまりとしたお店をやっていらっしゃるのですが、たまたま知り合った子育て中のママたちと一緒になって、お店の前のガレージで「豊玉ふらっと市」という市場を月に2回程度開くようになりました。地域のつながりをつくりたい、という思いで、名前のとおり誰でもふらっと寄っていける場を提供しようというもの。品物を提供するのは「つくりっこの家」という、練馬区内で障害がある人もそうでない人も協力し、支えあう関係をつくって活動している団体。 その「つくりっこの家」で作っているクッキーやさき織りの製品、関連農園で生産された新鮮な野菜等が並べられます。

 私は2度ほど「おかずやカフェ」へ行ってみたのですが、初めてそこを目指して行った時にはあいにく市は開かれておらず、カフェも普通の家のガレージの奥にあって、かろうじてボードにメニューが出ているのでお店だなとわかるぐらいなので、入ろうかどうしようか、散々迷った末に意を決して恐る恐る入ってみたという感じでした。でも、入ってみると気さくなご主人が、おいしいランチを出してくださったので「思い切って入ってみてよかった」とうれしくなりました。
 2度目は「ふらっと市」が開かれる日を目指して行ったのですが、あいにくの雨で、外には一部野菜が傘の下に置かれているぐらいで、いつもの市の様子を見ることはできませんでした。
 ただ、そこでカフェのご主人と一緒に活動している子育て中のママに出会うことができました。その中のお1人は、自宅でパンを焼いて、それを商品として持って来ていました。プロ顔負けのおいしそうな菓子パンや総菜パンで、私がランチをいただいている間にも、次々にお客さんが買って行くほどの売れ行きのよさ。ご主人に話を伺ったところ、震災の被災地から避難してきている若いママさんが、子ども連れでご飯を食べさせて、とお店に来たことをきっかけに、「ふらっと市」を手伝ってもらうようになったとおっしゃっていました。そして、小さい子を連れたママさんのネットワークが広がって、関わる人も増えたようです。

 小さい子どもがいても一緒に御飯が食べられる場、そして、そんなママたちが活躍できる場、地域のつながりを作ることを模索していたご主人の想いがママたちのパワーと結びついて、すてきな場が生まれたことを感じました。

 また、今のママたちは情報ツールを上手に活用していて、ツイッターやブログ等で情報を得たり、仲間を作ったりしている様子には、私たちの子育て中とは違うなと痛感しました。

2012.5.29(火)

 先日、ベビーダンスのインストラクターをされていて、ご自身も1歳9カ月の男の子のママと知り合いになりました。実は行政書士生活相談センターの無料相談会の会場に飛び込みで「ちらしを置いていただけませんか」と来られて、そのちらしのタイトル『抱っこが好きになる!講座』に興味を持った私が、その後思い切って、インストラクターのママさんに連絡して、「講座を見学させてください」とお願いしたのがきっかけです。

 ベビーダンスというのは、赤ちゃんを抱っこして、サンバ、ブルース、ワルツ等の音楽に合わせてステップを踏むというもので、赤ちゃんを抱っこして踊ることにより、スキンシップを通して親子の絆を深めることができたり、ママ自身が心身ともにリフレッシュでき、育児ストレスの解消になる。産後のボディラインの引き締めや体力アップ等々の効果もあるとか。そして、日本ベビーダンス協会という団体があって、今回知り合ったママさんは、その認定インストラクターとのことです。ベビーダンスの他に、抱っこ紐コーディネーターということもされていて、今回はそちらがメインの講座でした。

 「見学をさせてください」と連絡したときに、そのインストラクターご自身の息子さん(1歳9カ月)を講座の間、見ていてもらえるとありがたいです、とのお話があったので、「私でできる範囲でよければ…」ということで、元気な男の子と遊びながら見学することとなりました。

 今回は4組の親子が参加されていて、親子で簡単にできるストレッチや楽しい手遊びと歌を交えながら、抱っこ紐の正しい装着方法や腰痛・肩こりになりにくい姿勢等について、インストラクターのお手本を見ながら、親子で楽しそうに実践していました。その横で私は男の子と乗り物の絵本を見たり、スタジオを走り回る彼を追いかけたり、あまり子守りのお役には立たなかったかもしれませんが、それでも、ママさんからは、「おかげさまで助かりました」と言っていただきました。参加した親子の赤ちゃんたちは首が据わったくらいから1歳半頃で皆かわいくて、ぷくぷくの手足を触って、思わずこちらも笑顔になってしまう、久しぶりに赤ちゃんと触れ合うことができた楽しい時間でした。

 それにしても、ご自身も元気に動き回る2歳前の男の子の子育てをしながら、協会認定のインストラクターとはいえ、自分でスタジオ等の場所を借りて人を集めて、講座を開催するのは大変だと思います。それでもご自分がベビーダンスによってリフレッシュできて育児に余裕が生まれたという経験から、より多くの子育て中のママに、赤ちゃんと一緒に楽しみながらリフレッシュできるべビーダンスを広めたいと頑張っているのだろうと感じました。

 参加したママの中には、親子ともにお友達をつくる機会が少ないので、自分の子どもだけを見ていると、なかなか体重が増えないとか、言葉が出るのが遅い等、色々と心配になってしまう。こういうところに参加すると楽しいし、お友達もできてうれしいと話す方もいました。

 私自身、日頃はどちらかというと高齢の方と接する機会が多いので、久しぶりに若いママや赤ちゃんのエネルギーをもらって、気持ちが若返りました。でも、どちらかというと、もうおばあちゃんの気分?? 子育て中のママたちが少しでも余裕をもって、優しい気持ちで子どもに接することができるといいなと思います。今回の講座は大泉学園で開かれて、普段も大泉、石神井近辺を中心に教室を開いているそうですが、光が丘でもこのような活動をしてもらえたらいいな、なんてふと思いました。

 素敵な出会いに感謝です!

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