酒井玲子の日々

2009年9月15日(火)
 「酒井玲子の日々」をおとずれてくださって、ありがとうございます。
どうやってここにたどり着かれたかはわかりませんが、これも何かのご縁です。
酒井玲子ってどんな人間なの? と興味を持っていただけたら、時々のぞいてみてください。

 私自身は、一期一会を大事にしたいと思いながら日々生活していますので、そんな酒井玲子のつぶやき、出会った人々、読んだ本の感想、失敗談(たくさんあってこまるだろうなぁ)、もちろん仕事のうえで参考になるようなことも、色々と徒然なくままに書いてみたいと思っています。

 2023年7月26日(水)
 このページを書き連ねてから14年が過ぎました。なかなかマメに更新できませんが、これからも私が出会った出来事を書いていきたいと思いますのでどうぞお付き合いください。

追悼 大切な友人

事務所開所10周年に頂いた胡蝶蘭  園芸担当者の手により毎年花をつけます

2022年の誕生日に届いた花束と

2023年の誕生日

 2024年4月7日(日)

 昨年の5月にある男性が亡くなりました。私にとって友人というのも変な感じがする、不思議な関係のSさんは、色々なことを私に伝え、多くの物を残してくださいました。

 最初の出会いは私が社会福祉士の資格を取るための勉強をしている時、ボランティアで参加したある自治体の社会福祉協議会のお出かけイベントでした。そこに脳血管性認知症で車いすを利用しているお母様と一緒に参加していたのがSさん。タクシーを使った八景島シーパラダイスへのお出かけで、各家族に1名ボランティアが同行してお手伝いをすることになっていたのですが、まだ福祉の勉強途中で、ましてや介護の理論も技術も持ち合わせていない私は、車いすの操作も良くわからず、ただ、お母様を介助するSさんを見ていることしかできませんでした。何のために同行したのだろう、もっと何かできなかったのかなと、お出かけが終わってからもモヤモヤした気持ちが続いたので、そんな率直な気持ちをお手紙に書いて、Sさんに送ることにしました。
 すると、Sさんから「一度うちに遊びにいらっしゃい」とお誘いをいただき、ご自宅に伺ったのがSさんとのお付き合いの始まりになるのでしょうか。お話を伺うと、お父様は何年か前に亡くなり、一軒家のご自宅でお母様を一人で介護しているそうで、もちろんヘルパーさんは入っているけれど、デイサービスには行っておらず、介護についても一人で色々と研究してしっかりした考えを持ってやっていることが感じられました。
   その後は1年に1,2回お家に遊びに行くほかに、クリスマスにカードやちょっとしたプレゼントを贈り合ったり、誕生日にメールのやり取りをしたりということが続きました。遊びに行った時に教えてもらったのが、近くのケーキ屋さんで作っているという「タルトタタン」。Sさんはそれをお母様と「タッタラタン」と言い合って、3人で楽しく美味しく食べました。この「タッタラタン」の例のように、Sさんはとてもユーモアがあって、誕生日プレゼントは前後6か月いつでも受付中とメールに書いてあったり、そのやり取りはとてもほっこりするものでした。私の行政書士開業10周年に蘭を送ってくださったのもSさんです。

 何年かそのような時間が流れた後、お母様の具合が悪くなり、結局病院で亡くなられました。亡くなる少し前に病院にお見舞いに行くことができ、ご葬儀にも参列させていただきました。

 その後も思い出したように遊びに行っていましたが、ある時「しばらく冬眠するので連絡できなくなります」とのメールが。私はあまり深く考えもしないでいましたが、何か月後かに連絡が来た時には、癌になって入院治療していたとのこと。家に戻られてからも抗がん剤治療を続けていらしたようですが、なかなか合う薬がなく、色々と試しているとお聞きしました。

 その後も年1回程度お会いして近況報告し合うような感じでしたが、お亡くなりになる半年前位に、ご自宅近くの病院に仕事で行く用事ができたので、お会いできないかと連絡したところ、わざわざ病院まで迎えに来てくださって、ご自宅でお話ししたのが最後になってしまいました。ご病気のことも詳しいことは知りませんでしたし、よく考えたらご本人のこともほとんど何も知らないまま来てしまいました。
 私の誕生日には、ここ何年か花束を送ってくださって、お亡くなりになった年(2023年)の私の誕生日にも素敵なバラの花束が届きました。

 そして5月のある日、突然Sさんの訪問看護師さんから電話が。「Sさんが危ない状態です。やっと連絡してもいいとご本人がおっしゃったので、電話しました」との言葉に、しばらく状況が呑み込めないでいましたが、これは早く行った方がいい!と、入っていた約束を調整してご自宅に駆けつけたのですが、本当にちょっとの差で最期には間に合いませんでした。聞いたところによると、その前にも入院していたけれど、ご本人の希望でご自宅に帰ってきたところだったそうです。ご本人もこんなに早く逝ってしまうとは思っていなかったようで、これからまだやりたいこと、やらなくてはいけないと考えていたことがあったのだろうと思うと残念でなりません。 

 Sさんはご両親が既にお亡くなりになっているので、親族はご兄弟お一人だけですが、日頃からあまり関係が良くなかったうえに、そのご兄弟も体調が悪く、火葬、埋葬はお付き合いのあったお仲間が中心となって取り仕切ってくださり、私も立ち会わせていただきました。ご本人が亡くなってから初めてお会いした方ばかりでしたが、皆さん温かく輪の中に加えてくださって、私が知らなかったSさんの若い頃のお話なども聞かせていただきました。

 『ご縁』というのは本当に不思議なものだと思います。ちょっとしたきっかけで知り合ったSさん。私がお手紙を出さなければ、その後のお付き合いは無かったでしょうし、Sさんの生き方や考え方から色々と学ぶこともできなかったと思います。何よりユーモアの大切さを教えていただきました。これからも、気になることは自分なりに納得いくまでやって、色々なご縁を大切に、そしてユーモアを忘れずに生きたいと思います。

  このブログはずっと書きたかったのですが、うまくまとめられなくて、今頃公開することになりました。それでも思うようにまとまらず長文になってしまいました( ;∀;)。

もうすぐSさんの1周忌になります。感謝を込めて。

 

講演会「最期まで自分らしく生きる ~在宅医療の可能性と事前指示書の重要性~」 その2

2023年7月25日(火)

 NPO法人成年後見推進ネットこれからが主催した上記の講演会は、7月2日(日)10時~12時 石神井公園区民交流センターで開催されました。講師はその1でお願いすることになった経緯を記した高林克日己先生です。

 当日は日曜日の午前中、暑い中にもかかわらず100名を超す方にご参加いただきました、在宅医療や事前指示書について、あらためて皆さんの関心の高さを実感したところです。

 講演の前半は、日本の人口推移や今後の人口構成予測といった統計的な資料を示して、このままいくと少子高齢化がどんどん御加速して、老々介護や孤独死が増え、病院も満床で医療崩壊が起こることが予想されるので、救命第一という今までの医療に対する考え方を大きく変えなければ未来はないという話をされ、在宅医療へのシフトを提唱されました。高林先生曰く、医療資源や医療費の問題だけではなく、在宅医療がご本人にとって幸せだから勧めるのです、とのこと。在宅医療を受けながら自宅で過ごす患者さんの、穏やかな表情や素敵な笑顔の画像を披露してくださいました。

 後半は、人間の終末期にはどのようなことが起こるか、延命治療にはどのようなものがあり、自分の終末期の希望を書いておく事前指示書がないとどうなるのかというお話があり、事前指示書の重要性を説明されました。参加者にお配りした資料には、高林先生が提案される事前指示書も付けておきました。

 そして最後には、患者さんたちを連れて欧州旅行をした時(今までに21回も行かれているそうです!)の画像を映して、いきがいがあると人生は楽しく生きられることを強調され、「皆さんも楽しく生き抜きましょう」と締めくくられました。

 終了後に回収したアンケートには83名の方から回答をいただき、「このようなお話が聞きたかった」とか「帰ったら早速事前指示書を書こうと思います」といった声が多く見られました。

 お忙しい中で練馬にお越しくださって、貴重なお話をしていただいた高林先生には感謝の気持ちでいっぱいです。私は講演会の時に初めてお会いしたのですが、とても素敵な方で、もっと色々とお話を伺いたいと思いました。

 

↑ 講演会の様子   ↓ 高林先生

オレンジカフェアリスと関根奈々さんのコラボ展

2023年5月31日(水)

 光が丘のNPOむすびでやっているオレンジカフェアリスは、5/12-14の3日間、練馬駅すぐの練馬区立区民・産業プラザ(ココネリ)にある産業イベントコーナーにおいて、関根奈々さんとのコラボ展を開催しました。

 奈々さんは知的障害がありますが、独特のイラスト的な絵を描いて、展覧会で入賞したこともあります。その奈々さんの作品の展示と、関連グッズの販売をする一方、アリスに参加している方が作った作品の展示・販売や、水引アクセサリーのワークショップも行いました。
 中には95歳の方が丁寧に作って袋物もあり、93歳の方はお得意の布草履をコツコツ作って出品してくださいました。亡くなった奥様の絵を出してくださった方もいて、会場に花を添えてくださいました。
 当日はアリスの参加者が交代で受付や販売員を務めながら、自分たちも楽しみました。スタッフも含めると1日平均100人以上の来場者があり、初めての試みとしては良かったのではないかと思います。

 今回の企画は、アリスのリーダーが関根奈々さんのお母様と知り合いだったというご縁で、アリスとして奈々さんを応援したいという気持ちから企画されたものですが、アリスは高齢の方だけでなく、障害のある方も子どもたちも、誰もが安心して生活できる地域を目指す、インクルーシブな活動をしていることを発信する機会にもなったと思います。

 また、コラボ展を訪れてくださった福祉事務所の所長さんに、アリスで福祉事務所についてお話をしていただけないかと直談判(?)したところ、週明けすぐにご連絡をいただき、高齢者支援課かの方がアリスを見学に来てくださいました。また、コラボ展の隣のホールで「看護の日」というイベントをやっていたのを覗いてみた際には、地域の在宅看護の事業所さんにもアリスでのお話をお願いしたところ、こちらもすぐに連絡をいただき、近いうちにアリスに来てくださることになりました。これにはこちらからお願いしてみたものの、その反応の速さにこちらのほうがびっくりしてしまいました。なんとありがたいことでしょう!

 

コラボ展の隣に朝ドラ「らんまん」の主人公のモデルとなった牧野富太郎博士がいたので、一緒にパチリ!

NPO「これから」の講演会
「最期まで自分らしく生きる ~在宅医療の可能性と事前指示書の重要性~」 その1

2023年7月18日(火)

 NPO法人成年後見推進ネットこれからの今年度のメインイベントである講演会が、7月2日(日)午前中に石神井公園区民交流センターで開催されました。
 講師には「高齢者終末医療 最良の選択」の著者であり、松戸市の医療法人社団鼎会 三和病院顧問である医師の高林克日己氏をお迎えして、100名を超える参加者の皆さまが熱心に耳を傾けてくださいました。

 当日参加者にお配りした資料に、理事長としてのご挨拶文をつけたのですが、そこから抜粋したものを載せたいと思います。

 『…本日の講師である高林先生は、現在は松戸市の三和病院にお勤めで、ご自身が在宅医療にも関わって、地域に根差した医療を実践されているお医者様です。そのような高林先生を講師としてお迎えすることになった経緯を、ここで少しお伝えしたいと思います。
 私はNPOの活動を通して、また個人的にも成年後見人の活動を通して、支援している方の医療や看取りにも関わることが多く、また自分の家族や自分自身も最後の時をどうしたら自分らしく穏やかに過すことができるのか、いわゆる終末期の医療や介護の在り方について関心を持つようになりました。そんな時に出会ったのが高林克日己先生が書かれた『高齢者終末医療 最良の選択 ~その基礎知識と生き方のヒント~』(2016年 扶桑社)という本でした。それだけであれば、そのような書籍を出版されるようなお医者様、しかも千葉の病院の先生にご講演をお願いしようとは思わないのですが、そこに不思議なご縁がありました。
 後日、私の卒業した高校の同窓会誌を読んでいたところ、同窓会の記念講演で、卒業生であるお医者様が「最期まで自分らしく生きる」というタイトルでお話された内容をまとめたものが掲載されていました。そのご講演をされたのが高林先生だったのです。
 珍しいお名前なのできがつきましたが、そうでなければそのままになっていたかもしれません。そこにもご縁を感じてしまった私は、ぜひ「これから」の講演会でもお話をしていただきたいと熱望し、単に同じ高校の卒業生であるというだけの伝手を使って、厚かましくも先生にお手紙を書き、病院宛に講演の依頼書をお送りしました。
 ダメで元々の気持ちでしたが、直ぐにメールでおのお返事を頂戴し、しかも講演についても「いいですよ」と快諾していただきました。この時は、本当に「願いは通じるのだな」と感激したことを覚えています。それが2019年の秋ごろのこと。その後、新型コロナウィルスの感染拡大が顕著になり、せっかくの高林先生の講演会も残念ながら中止の判断をせざるを得なくなりました。
 それから2年たった2022年の秋。コロナの感染も少しずつ収まり、大勢の人が集まるイベントも開催可能になったのを機に、あらためて高林先生にご講演をお願いしたところ、今回も快くお引き受けいただいて、ようやく本日を迎えることができました。

 先生の今回のご講演のテーマは、私ども「これから」としても、個人としてもじっくり考えなくてはいけないこと、そして悩みつづけなくてはいけない大事なことだと思っていますので、本日は皆さまと一緒に学ばせていただきたいと考えております。
 そして、参加してくださった皆さまにとっても本日の講演が、ご自身やご家族、支援する方々のこれからを考えるうえでの一助となることを願いつつ、ご挨拶とさせていただきます。2023年7月2日』

無力感

2019年1月27日(日)

 練馬区の地域包括支援センターから成年後見に関するご相談をいただいた案件がありました。

 在宅で生活していた高齢の男性が脳梗塞で倒れて入院されたのですが、その方の奥様も体調が悪く、ご主人の支援はできないということで、北陸地方在住のお姉様に連絡が行き、そのお姉様が地元と東京を行ったり来たりしてご本人の面倒をみている状況でした。 そのうえ、ご本人の奥様の妹さんご夫婦が、ご本人の預金通帳とカードを持って行ってしまい、ご本人の入院費等はすべてお姉様が立て替えていました。

 ご夫婦の間には元々色々な事情があったようですが、それにしてもご本人の財産をご本人のために使えないのはおかしいので、地域包括の職員も妹さんご夫婦に、成年後見人をつけて、きちんと必要なものは払ってもらうようにしたほうがいいですよ、と話をしてくださっていました。

 そのような状況で、私がかかわらせていただくようになったのですが、お話を聞く限りでは、ご本人が何もできない状況で、奥様もご本人の支援は難しいのであれば、成年後見人等を就けて、ご本人の財産はご本人のためにきちんと使えるようにするべきだと思いました。

 入院先に伺ってご本人の状況を確認させていただきましたが、その時にはお姉様のお住まいの近くの病院へ転院することが決まっていたので、地元でご本人にふさわしい後見人等を見つけるのがよいだろうと考えました。ただ、ご本人の住民票が練馬区にあるので、最初は東京家裁に申立てするのかと思っていましたが、確認したところ、ご本人が現に居る場所での申し立てになるということで、病院のある地域の管轄の家裁に申し立てればよいことがわかりました。申立人はお姉様にお願いするつもりで、必要であれば私がそちらに出向いて、少しずつ準備を進めようとしていたのですが、奥様の妹婿が、もともと成年後見人を就けることには難色を示していたのが、後見人を就けないと不動産の処分や保険金の受取もできないということは理解されたらしく、今度はご本人の親戚に弁護士がいるので、その人にすべて任せるようにと言ってきたそうです。

 お姉様もご自身が高齢で持病を抱えながら弟さんの支援をしているところに、妹婿から何度も電話で色々と言われて、疲れてしまったということで、結局弁護士がすべてやってくれるならばそれでいい、とご自分で申し立てることは諦めてしまわれました。そのため私がお手伝いすることもできなくなったのです。

 奥様の妹婿がいう弁護士がきちんと申し立てをして後見人が就くのであれば、それで構わないのですが、今までの経緯を考えると、親類の弁護士というのも怪しい気がするし、ご本人の権利が守られるかどうか心配です。

 ただ、私の立場としては、お姉様がもう相手に任せたと言う以上は何もできません。その話を聞いたときは、なんとかもう少し一緒に頑張ってみませんか、とお姉様にお伝えしたのですが、「もういいです。今までありがとうございました」とのことで、結局その後どうなったのかもわかりません。

 目の前に人としての権利を侵害されている方がいるのに、自分にもっとできることはなかったのだろうか…、その後しばらくは自分自身がいかに無力かということを痛感し、悲しいような悔しいような、複雑な思いになりました。

差別がもたらす人権侵害

2019年1月23日(水)

 先日、全国老人福祉問題研究会で国立ハンセン病資料館の儀同政一様から「差別がもたらす人権侵害 〜ハンセン病の史実から〜」というテーマでお話を伺いました。

 元々私の高校時代の同級生が町内会繋がりで儀同さんのことを知っていて、「人権問題についての専門家で、色々なところに講演に行って忙しいらしい」という情報を聞いていたところ、たまたま全国老人福祉問題研究会の1月例会のスピーカーが儀同さん、という案内メールをいただいたので、これはぜひお話を聞いてみたいと参加した次第です。

 ハンセン病はらい菌による感染症で、ノルウェーのハンセン医師が患者の体内かららい菌を発見したことから「ハンセン病」と名付けられました。 ハンセン病は数千年前からその存在が確認されており、難治性で皮膚と抹消神経に病変が現れるため、顔や体の変形や変色、肢体不自由等により社会の中で特別視され、偏見や差別、迫害の対象になりました。

 明治時代以降も有効な治療薬がなかった時代、国はハンセン病を「不治の恐ろしい伝染病」だとして国民の恐怖感をあおり、「らい予防法」による強制隔離や、自治体や警察、国民を巻き込んで官民一体で行った「無らい県運動」などによって根深くかつ深刻な偏見や差別意識を社会に植え付けました。 1947年に有効な治療薬プロミンが使用されるようになってから、ハンセン病は治癒する病気となりましたが、その後も強制隔離政策は続けられ、ようやく1996年に「らい予防法」が廃止され、2001年には熊本地裁でらい予防法は憲法違反として、裁判所が人権侵害を認める判決を下しました。

 ハンセン病は結核菌と同じ抗酸菌の一種であるらい菌による普通の慢性感染症で、感染力もさほど強くはないそうです。それがなぜ、これほどまでに社会の中で忌み嫌われ、患者は療養所に隔離されて人間扱いされないという人権侵害が続いたのでしょうか。
 おそらく、病気の性質上、顔や手足が変形するという見た目の問題や、明治時代の富国強兵政策により、働けない者は価値のない人間とする考え方に加え、諸外国からハンセン病を放置している野蛮な国と非難されるようになったことで、先進国に追いつくためにはハンセン病患者をなくさなくてはいけないという国の政策が大きく影響したものと思われます。
 このような考え方は、ナチスドイツの優生思想や日本の旧優生保護法にも通ずるものがあり、今でも日本の社会の中には自分と違う者に対する偏見や差別が根強く残っているように感じます。

 今ではハンセン病の新規患者は1年に1人出るか出ないかという状況ですが、かつてハンセン病に罹って療養所に強制隔離された患者さんの中には、語り部となって自分たちの受けた差別や人権侵害の事実と歴史を後世に伝えようとしている方もおられます。私たち市民も、これからの社会で同じ過ちが繰り返されないように、過去の歴史を知り、正しい知識を得て自分の頭で考えることが大事だと感じました。人は誰も平等で、お互いに支え合って生きていることを忘れてはいけないと思います。

 儀同さんは、穏やかな語り口の中にも芯のある凛とした方だなという印象を受けました。依頼があればどこにでも出向きますとおっしゃっていて、最近では学校の先生や医療関係者、宗教関係の所にも話をしに行かれるそうです。

 多磨全生園の敷地内にある国立ハンセン病資料館にはハンセン病や患者さんに関する資料や迫害の歴史が展示されています。前に一度訪れたことがありますが、久しぶりにまた行ってみようかなと思いました。

2019年 新年のご挨拶

2019年1月7日

2019年 新年のご挨拶

  新年あけましておめでとうございます。

 昨年も自然災害が各地で起こり、今なお大変な思いをされている方も多くおられることと思います。心よりお見舞い申し上げるとともに、本年が皆様にとって、穏やかで幸せな1年となりますようにお祈りいたします。 災害といえば、いつどこで起こるかわかりません。今年こそはできるところから備えをしなければと考えています。

 また、最近よく話題になるACP(アドバンス・ケア・プランニング)。人生の最終段階における医療について、本人を含めた関係者が事前に話し合いをしておくことですが、今年もさらに重点的に考えていきたいテーマです。

 成年後見については、実際にお手伝いをしている方々が、少しでも安心して生活できるように、色々と考えていきたいと思っています。

 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

『ボヘミアン・ラプソディ』の興奮

2018年12月6日(木)

 昨日、仕事で訪れた場所の上階にシネマコンプレックスがあることに気づき、せっかく来たのだから何かいい映画はやってないかしら・・・と上映中の映画を見たところ、また出会ってしまいました『ボヘミアン・ラプソディ』。伝説のロックバンドQUEENのリードボーカル、フレディ・マーキュリーの生きざまと、グループとしてのQUEENの道のりを描いた映画で、機会があったら観たいなと思っていたところでした。すぐにチケットを購入し、久しぶりの映画館。

 映画が始まってからすぐにフレディとQUEENの物語に引き込まれ、その音楽に酔いしれました。映画の中で流れるのは私でさえ知っている曲がほとんどで、それだけQUEENの曲が広く親しまれ、今でもCMやドラマの中等で多く使われているということなのでしょう。

 私は何よりもフレディ・マーキュリーが自分の抱える孤独や劣等感を音楽によって乗り越えて行く姿、自分に正直で音楽に妥協しない生き方に心打たれました。そして、彼を本当に思う他のメンバーや、生涯を通じて信頼できる友人であったメアリーという女性との関係も素敵だし、彼らがいたからフレディがあんなに輝けたのだろうと感じました。

 ドライアイで涙の出にくい私ですが、ずっと目はウルウル(でも溢れるほどには出ない)。映画館を出た後も感動は冷めやらず、帰ってから娘たちには「ぜひ観たほうがいいよ!」と語り、きょうは映画のサウンドトラックを含めて3枚のQUEENのCDを買って、聴きまくりました。しばらくは私の頭の中では「ボヘミアン・ラプソディ」やら「キラークイーン」がずっと流れていることでしょう。

『小さな恋のものがたり』〜その後のチッチ〜 との出会い

2018年12月4日(火)

 先日、バスの時間を待つ間に書店に入って何とはなしに眺めていたら、出会ってしまいました!どこかで見たような表紙の『小さな恋のものがたり』。もう何年も前に連載は打ち切りになっていたはずなのに、まだこんなところにあるの? でも【44集】となってる。確か最後は【43集】だったはず。もしかして!! よく見ると『小さな恋のものがたり〜その後のチッチ〜』と書いてある。これは新しいのが出たんだ! そして即購入。

 私はみつはしちかこさんの描く叙情まんが『小さな恋のものがたり』が好きで、第1集からずっと購入して読んでいました。
 音符のような細い足の小さな女の子、永遠の高校生チッチと、チッチが想いを寄せる背が高くてちょっとクールな青年サリーを中心に、彼らを取り巻く仲間や家族の物語は、50年以上に渡って連載されたベストセラーでした。
 それが、2014年に第43集をもって、サリーがスウェーデンに物理の勉強のために留学するということで、連載は終了となっていたのです。そこへまさかの44集。

 〝50年以上もチッチを描き続けて、いつの間にか『小さな恋のものがたり』のみんなが、私の心に棲みついていたのです。とりわけチッチが私の心の扉をドンドン叩いてくるのです。「出して出して、描いて描いて」と”(著者あとがきより)ということで、一時期病気をされてから手が思うように動かなくなったとのことですが、著者は一生懸命チッチとその仲間たちを描くことによって、きっとご自身もチッチたちに元気をもらっているのだと思います。 この分ではまだしばらく連載は続きそうです。今回の内容は、サリーはスウェーデンに行ってしまって実際にはいないけれど、チッチの夢や回想の中で登場するし、仲間たちは相変わらず毎日笑ったり泣いたり怒ったり。今までと変わらない印象でした。新しい人物も登場して、これからがますます楽しみな展開です。 きっとサリーもいつかはチッチのところへ戻ってくると私は信じています。一回りも二回りも成長してさらに素敵な青年となって。それまでチッチもチッチなりにサリーを想いながら、サリーに追いつきたいと(身長だけじゃなくて)必死にもがくんだろうな。いつも純粋で人間味あふれる魅力的なチッチを応援したくなるのは私だけではないはず。チッチ、頑張れ!

 そして『小さな恋のものがたり』との再会にありがとう!

ゆうこさんの「障がい者理解」のミニ講座

2018年9月24日(月)

 9月3日(月)のオレンジカフェアリスでは、障がい当事者である浦尾裕子さん(ゆうこさん)による「障がい者理解について」のミニ講座がありました。ゆうこさんは生まれつきの骨の障害で、手足、背中、腰と全身の関節が変形したり軟骨がつぶれていて、40代の女性ですが、身長が小学三年生の平均ぐらいしかありません。背骨のゆがみや目の病気もあるそうです。それでも自分でどこでも動けるし、何でも食べられるということで、障害手帳の等級は一番低いものになっているとのことでした。

 今回はゆうこさんが日頃生活する中で、障がいがあって辛いと感じていること、障がいがある人とどう接したらいいの、どんな配慮をしたらいいの、といったことについて、色々な例を挙げたり、お手製の道具を使ったりして、とてもわかりやすくお話をしてくださいました。

 講座の内容については、ゆうこさんご自身のブログで公開されているので、ぜひそちらをご覧ください。

https://blogs.yahoo.co.jp/yupiko0120/18649587.html

  私自身が心に残ったのは、障がいがある人といっても一人ひとり皆違う。どんな人でも「されたらうれしいこと」「されたらいやなこと」は共通だから、どんな障がいや病気があっても、対等なひとりの大人同士として、敬意をもって接することができればいいのではないか、ということでした。
 障がい者というレッテルを貼って、自分とは違う特別な人として見るのではなく、ひとりの人間として、この人はどんな人なんだろうと関心をもって誠実に対等に受け止めてくれる人と一緒にいたらうれしいというゆうこさんの言葉には、自分の人に対する接し方をあらためて振り返る機会をいただきました。

 障がいや認知症は、自分や身近な家族の誰でも、いつでもなる可能性があるし、なったということだけで不幸になるわけではない。いつ誰が当事者になっても孤独にならないですむ環境、どんな人も地域で安心して生活できる社会を作ることがこれからの課題ではないか、という締めくくりは、まさにオレンジカフェアリスの目指すところと同じだなと心強く感じました。

 普段は長い間座っていることが難しい参加者の方もいらっしゃいますが、ゆうこさんのお話は、皆さんが時に頷き、時に笑いも起こり、とても真剣に聞いておられたのがとても印象的でした。

  講座終了後には聴いた方にアンケートをお願いして、感想や質問を書いていただきました。それを持ち帰ったゆうこさんは感想をまとめ、質問に対しては一つひとつ丁寧に回答を書いたものを10日もたたないうちに送ってくださいました。今回は大人対象なのでパソコンで打ったものですが、学生さん対象の講座では、質問してくれた人みんなに手書きで返事を書いているそうです。そのようなゆうこさんの姿勢は見習わなくては。

 ゆうこさん、本当にありがとうございました!

成年後見人講習会の講師

2018年9月4日(火)

 私が理事を務めるNPO法人成年後見推進ネットこれからと同じように、練馬区で成年後見制度に関わる活動をしている「NPO法人成年後見のぞみ会」が、主に市民後見人(社会貢献型後見人)を目指す方や成年後見制度について学びたい方向けの講習会を開催しています。

 社会貢献型後見人については、練馬区では練馬区社会福祉協議会が養成研修を行っていますが、研修は平日開催なので、そこには参加できない方を想定して土曜日の開催とし、基礎編2日、応用編2日の計4日間の研修です。 講習内容は認知症や障害の理解をはじめ、介護保険や生活保護、年金等の制度についてということで、練馬区の行政の現場で仕事をしている職員や各分野の専門家が講師となっています。

 その応用編の1日目、後見受任後の実際の業務を学ぶという部分で、「在宅の方の後見活動」という内容で1時間弱お話しする機会をいただきました。実際にどのような活動をしているかを話してほしいというリクエストだったので、私が法定後見と任意後見を受任している事例を1件ずつ挙げてお話させていただきました。

 成年後見人としての基本的な考え方は施設等に入所している方も在宅の方も基本的に変わらないこと。つまり、ご本人の意思を尊重し、心身の状態や生活状況に配慮した支援をするのが大事であること。そのような支援をするためには、ご本人の性格や成育歴、嗜好、趣味等々ご本人のことについて知ることが必要になることをお伝えしました。

 そのうえで、在宅の方で特に気をつけたほうがよいと思われることを、下記の四つにまとめてみました。

①ご本人の周りの他の支援者とのコミュニケーションを密にして情報共有する

②生活環境を整える(転倒防止、温度管理、服薬管理、栄養状態、郵便物、不要なものがないか等)

③緊急時の連絡体制を決めておく

④今後の住処について考えておく

 緊急時のことについては、医療同意や延命治療をどうするかというところにも関わるので、難しい問題です。成年後見人等に入院時や手術の同意を求められても、後見人にはその権限がありません、と主張するしかないのですが、実際の場面では、身寄りがなければ後見人の同意がないと入院できませんと言われて、形式上署名するということもあるようです。 延命治療をどうするかということについても、ご本人にしか決めることができないことなのに、ご本人が意思を表明することが難しい場合は、後見人に判断を求められることもあるのが現実です。

 そういった問題に対応するためには、可能な限りご本人がお元気なうちに、ご本人の意思を確認しておくことが大切になります。そして、できればそれを他の関係者と共有し、書面に残しておくことがよいと考えています。 NPO法人成年後見推進ネットこれからでは、エンディングノートの機能を持ち、高齢期を自分の希望どおりに過ごすために必要な情報も書き込める『これからノート』を作成していますが、そこにも「私の療養に関する事前指示書」という書類を付けて、チェック方式で書き込めるようにしています。

 一般的に在宅の方の後見活動で気をつけることをお話しした後には、私が後見人となっている在宅の方について、財産管理と生活の支援として実際にはどのようなことをしているかをお伝えしました。一般の方が実際の後見活動について知る機会はあまりないと思うので、あくまでも一つの事例であるということをご理解いただいたうえで、可能な範囲で聴いていただきました。

 限られた時間の中で、伝えたいことが参加者に伝わるようにと準備はしたつもりでしたが、言いたかったことが抜けてしまったりと、またまた反省材料がたくさん残りましたので、次につなげていきたいと思っています。

 私がお話ししたのは午後でしたが、同じ日の午前中に弁護士の土肥尚子先生から「成年後見制度〜関連する法律・制度」についての講義があったので、私も聴かせていただきましたが、とても勉強になりました。

 「のぞみ会」の皆様には貴重な機会を作っていただいたことに感謝するとともに、これからも練馬区で同様の理念を持って活動するNPO同士として協力しながら、練馬区での成年後見制度の情報提供や利用促進に努めて行けたらと考えています。

念願の富士登山3

平成30年8月14日(火)

 山頂では御来光こそ拝めたものの、神社へのお参りやじっくり記念撮影をする余裕はなく、いよいよ砂利道が延々と続く下山ルートへと向かいました。下りは歩幅を小さく、リズム良く足を運ぶことを心掛けて、とガイドさんに教えてもらったものの、足が勝手に大股で前に行ってしまい、膝や太もも、ふくらはぎの筋肉への負担は相当なもの。休憩の度に次の休憩ポイントはどこ?という感じを繰り返しながら、なんとかスタート地点となった富士スバルライン吉田口五合目まで戻ってくることができました。私の場合はあれ以上下りが続いたら、ギブアップしていたかもしれないと思うギリギリのところでした。

 今回の『一生に一度は富士登山』ツアーは、参加したみんながそれぞれの場所で美しい御来光を拝んで無事に下山し、家まで帰りつくことができたということで、本当に楽しく思い出に残る登山となりました。1,2年目に行かれなかったのは、きっと富士吉田ルートで上りなさいということだったんだな、と今になって思います。 何年も私の勝手な想いに付き合ってくださったお仲間と、一緒に参加したメンバー、ツアーのガイドさんと付添いの方、その他にも色々な方のおかげで実現できたものと感謝の気持ちでいっぱいです。メンバーの1人が下山の7合目からペースダウンしてしまったため、馬に乗って下って行ったことも忘れられない思い出となりました。

 戻ってきた次の日からは思っていたとおり足がひどい筋肉痛になり、まともに歩けないし、一度座ったら起き上がるのが大変な状態が今も続いています。当分は富士山は登るのではなく、遠くから眺めて楽しみたいと思います。今度は美しい富士山が眺められるところに行きたいなぁ。

念願の富士登山2

平成30年8月14日(火)

 『一生に一度は富士登山』ツアーは、新宿から高速バスで富士スバルラインの吉田口5合目にお昼頃到着し、そこから吉田ルートを登って、8合目の蓬来館という山小屋を目指しました。久しぶりの山歩き、しかも富士山ということで、自分の足がどこまでもつのかということと、初の3,000m超えの地で自分の体がどうなるのかという不安はありましたが、深呼吸を心掛け、こまめに水分補給をすることで、幸いにもひどい高山病になることもなく、八合目に到着しました。ただ、日頃から抱えている頭痛に関しては、普段は左耳周辺がビリビリする痛みなのが、さすがに八合目まで来ると頭全体がズキズキする感じになり、山小屋での仮眠はほとんどできませんでした。それでも、吐き気やその他の症状はなかったので、歩くことに集中している間は頭痛も気になりませんでした。

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 そしていよいよ頂上目指して夜中に山小屋を出発。寒さ対策でもこもこに着込んで、ヘッドランプを着け、前の人の足元を見ながらひたすら登ります。ふと見ると、前も後ろもヘッドランプの灯の行列が点線となって続いています。休憩のときに見上げた空には満点の星!下のほうには雲海が広がり、ところどころ灯が点滅するように光るのは稲妻でしょうか。ここは雲の上なんだなぁとしみじみ感じました。じっくりと空を見上げていた人たちの中から、何度か「流れた!」という声が上がったのが聞こえてきたのは、この時期、ペルセウス座流星群の流れ星だったのでしょうか。私も見たかった!

 そして、歩き始めてから4時間弱でとうとう富士吉田ルート頂上に到着。ヤッター!

 

富士山登頂がちょうど「山の日」ということもあったのか、山頂にはどんどん御来光を待つ人が到着し、身動きできないほどの状態。私たちは午前3時前には着いてしまったので、山小屋で温かいトン汁を食べたらすぐに外で御来光を待つことになりました。御来光を待つポイントも既に大勢の人が陣取っていて、ようやく端っこの隙間に潜り込むことができましたが、半端ない寒さに手は凍りそうで、体はガタガタ震えが止まらない状態。富士登山山頂の碑Resize.jpgそれでも動くこともできずに待つこと1時間近くでしょうか、雲海の向こう側が明るくなり始め、刻々と雲の状態や明るさを変えていきます。まだかまだかと心急く気持ちが頂点に達した頃、ようやく太陽の頭らしい形が、雲の切れ目からのぞいたと思ったら雲海の中に浮かび上がったり、私の想像していた御来光とはずいぶん違う光景が繰り広げられた末に、やっと丸くてオレンジ色に輝く太陽が全貌を現したのです。あの雲海と輝く太陽を目の当たりにしては、言葉を失うしかありません。昨年も登って御来光を拝んだお仲間は、ぼそっと「昨年とはまた違って、とても幻想的だった」と…。

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念願の富士登山1

平成30年8月14日(火)

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 行って来ました!日本一の山、富士山。3年越しのプロジェクト(?)が実現できて、今はとても充実した気持ちです。

「一生に一度は富士山に登ってみたい」と思い立ったのが2年前。その時は光が丘からバスが出るツアーがあったので、それはいい、ということで申し込んだのですが、ちょうど台風直撃でツアー自体がキャンセルとなってしまいました。あらためて挑戦しようとした昨年は、行く予定だった8月に入って頭痛が酷くなり、悩んだ末に結局断念。2年続けてこういうことになると、それは富士山には行くなということかなと思ったりもして、諦めかけていました。

 富士山に登るにはルートがいくつかあります。1,2年目に行こうとしていたツアーはプリンスルートという比較的マイナーで空いているルートで上り、下山は須走ルートという、砂が深くて長い下り坂を半ば走り降りるようなルートでした。実際昨年参加した人は、下りで足の指に血豆ができてしまって、下山後もしばらく大変だったそうです。そこで、今年は最も一般的で登りやすいといわれている富士吉田ルートを使うツアーを、それなら酒井も登りやすいだろうと、昨年行ったお仲間が探してくださったのです。その名も、はとバスの『一生に一度は富士登山』ツアー! 諦めかけていた私も行かないわけにはいきません。名前のとおり、「一生に一度は登ってみたい」と言っていた他の仲間も加わって、今年は5人での挑戦となりました。

成年後見制度の研修(2)診断書の改定

平成30年7月20日(金)

 成年後見制度を利用して本人らしい生活を実現するためには、何よりも本人のニーズに合った後見人を選ぶことが重要であり、そのためには成年後見制度を担う地域連携ネットワークの中核機関と、後見人等を選ぶ家庭裁判所が本人に必要な後見人等のイメージを共有する必要があります。

 今のところ後見開始の申し立てがあった場合、申立書類のひとつである医師の診断書が主な判断材料になっていますが、現在使われている診断書の様式は本当に簡単なもので、しかも自分の財産を管理・処分できるかどうかということが判断基準になっています。この診断書で判断ができない場合はより詳しい鑑定をすることになっていますが、私の経験の中では、鑑定まで必要とされたケースは1件だけでしたし、周りでもあまり聞かないので、ほとんどは最初に提出する診断書で判断されているものと思います。

 本人について何も知らない裁判官が、あんな簡単な診断書で本人にふさわしい後見人等を選ぶのはとても無理です。だから、後見人候補者として書いてある人が、ほとんどの場合はそのまま成年後見人等として選任されることになります。

 このような選任のしかたでは、どうしても選任後に本人の希望する支援がされなかったり、本人の希望が考慮されなかったりという、いわゆるミスマッチが起こることも多いのではないでしょうか。

 そのようなミスマッチをなくすためにも、利用促進基本計画や意思決定支援の考え方をふまえて、診断書の改定に向けた検討が進められているそうです。 医師・福祉関係団体、各当事者団体から意見を聞いて検討したとのことで、改定案のポイントは以下の通りです。

①    現在の財産管理ができるかどうかという質問ではなく、『支援を受けて契約等を理解・判断できるか』について四択で答えるように改定

②    判定の根拠を明らかにするために、見当識や意思疎通など4点について障害の有無等を記載する欄が新設された

③    福祉関係者が記入して、本人の生活状況等を医師に伝えるための「本人情報シート」の書式を新たに作成する

  記載内容が増えて、少しでも本人の状況が伝わりやすい書式になることはいいことです。また、私にとっては「本人情報シート」というものが作られるというのは、今回初めて知ったことです。介護や福祉関係者が記入することを想定してるようで、本人の日常・社会生活の状況や現在の金銭管理について、また今後の課題等についても書くようになっています。今の申立事情説明書を少し詳しくしたようなイメージでしょうか。

 このシートの提出は必須ではありませんが、医師が診断書を作成する際の参考にしたり、家庭裁判所が後見等の審判を下す際にも、より本人にとって適切な後見人等を選任するための資料にすることを想定しているそうです。そして、平成31年中に運用開始予定とのこと。

 2000年に新しい成年後見制度が始まって17年が過ぎました。利用促進計画にもあるように、何よりも本人を含めて利用する人がメリットを実感できる制度になるように、これからも関係者の意見を取り入れて柔軟な運用がされることを期待します。そして、私自身も利用する人に寄り添った支援ができるように、考え、行動したいと思いました。

成年後見制度の研修(1)地域連携と社会福祉士への期待

平成30年7月20日(金)

 先日、所属している社会福祉士の団体「ぱあとなあ東京」の研修で、最高裁判所事務総局家庭局の西岡様から『診断書の改定と本人情報シート 〜社会福祉士に期待すること〜』というタイトルで、大きく分けて下記の三つの内容でお話を伺いました。

(1)  成年後見制度を取り巻く状況

(2)  地域連携における社会福祉士への期待

(3)  診断書の改定

内容を記しているときりがないので、私が印象に残った部分を何点か書いてみたいと思います。

(2)については、平成29年3月に閣議決定された「成年後見制度利用促進基本計画」に話が及びました。利用する人がメリットを実感し、本人の生活をより豊かにするためには地域福祉との連携、各専門職同士の連携が必要であり、そのために地域連携ネットワークおよび権利擁護支援の中核機関を整備することが求められています。

 今までどちらかというと本人の財産管理(保全)に主眼が置かれていたように思われる成年後見制度ですが、本人がメリットを感じられる制度・運用にするために、本人の社会生活の質の向上という視点を大事にする支援が求められるようになってきたと言えそうです。

 そんな中で社会福祉士には、福祉の専門家として司法と福祉を結ぶ役割が求められるとともに、自身が後見人等として活動することはもちろん、親族が後見人等になった場合の相談窓口になることも期待しているとの話がありました。 私自身、親族後見人に対する情報提供や相談支援はとても大事なことなのに、そういった体制が整っていないと感じているので、これからは地域連携を図る中で、親族後見人を支援する仕組みができることを期待するとともに、自分でもそのようなことに関わりたいと考えています。

「ハウジングファースト」−稲葉剛氏の講演−

2018年6月3日(日)

 先日、ねりま社会福祉士会の定期総会が開催されました。総会後の記念講演には、稲葉剛氏をお招きして『ハウジングファーストが福祉を変える』というテーマでお話をしていただきました。

 稲葉氏は1994年から新宿を中心に路上生活者の支援活動に取り組み、湯浅誠氏と共に自立生活サポートセンター・もやいを設立。2014年まで理事長を務め、幅広い生活困窮者の支援活動を展開してこられました。現在は一般社団法人つくろい東京ファンドの代表理事として、都内の他の6団体と共に「ハウジングファースト東京プロジェクト」を進めていらっしゃいます。稲葉氏の今までの実践と「ハウジングファースト」の考え方、実際どのような支援を行っているのか等についてお話を伺いました。

 「ハウジングファースト」とは、住まいを失った生活困窮者の支援において「安定した住まいの確保」を最優先とする考え方です。路上生活を続けている人の中には精神疾患や依存症を抱えたり、対人関係に苦手意識を持つ人も多いのですが、そのような人達に、これまでの支援は、住まいを提供するにしても、まずは施設や寮といった集団生活の中で治療を受けさせ、就労支援を受けて、社会に出る準備ができて初めてアパートでの独り暮らしができるというステップアップ方式が主流でした。このような支援では、集団生活になじめなかったり、人間関係でのストレス等によって途中でドロップアウトして路上に戻ってしまう人が多かったようです。 1990年代に比べると路上生活者の生活保護申請は進んだそうですが、福祉事務所が民間宿泊所への入所を事実上強要するケースも多く、貧困ビジネスの存在も問題になっています。また、生活保護を利用することに対する心理的な壁も大きく、路上と施設を行ったり来たりする人が少なくありません。

 これまでのステップアップ方式の支援に対して「ハウジングファースト」は、『本人のニーズに応じて、安定した住まいの確保と支援を提供する』というシンプルな考え方です。治療や就労支援を受けること、施設や寮での集団生活を条件にしないで、本人が望めばプライバシーの守られる安全な住まいを得ることができるという、今までゴールだった住まいがスタートとなる、正反対のアプローチと言えます。そして、ハウジングファースト東京プロジェクトは「住まいは基本的人権である」を理念のひとつとして活動しているそうです。 

 今回の稲葉氏の講演で、初めて「ハウジングファースト」という考え方について知りましたが、確かに誰にとっても安全で安心できる空間(住まい)が保証されるというのは、生活するうえでとても大事なことだなとあらためて感じました。また、住まいが提供されるだけでなく、住まいと同時に本人に寄り添って相談に乗り、継続的にサポートしてくれる支援者の存在がとても重要で、そのような支援者がいるかどうかが、このプロジェクト成功のカギといってもいいように思いました。 さらには、路上生活者に提供される住まいがどれだけ確保できるかも大きな問題だろうと思います。

 講演後の懇親会にも稲葉氏は参加してくださいましたが、その席で、「目の前の困っている人をどう支援するか、ということが一番大事だ」とお話しされていたのが印象的でした。困っている人、弱い人達を支援する実践の積み重ねによって、後から制度や法律が整備されるというのはよくあることです。制度の壁があるならそれを変えてしまえばいい、人にとって何が一番大事なのかを常に考えて、行動を起こせる人間になりたいなと思った講演会でした。

NPOむすびとてんびん橋の接続問題(行政相談委員の奮闘)

2018年5月21日(月)

 私が参加しているオレンジカフェアリス(いわゆる認知症カフェ)を主催しているNPOむすびの事務所は、光が丘内の以前UR都市機構の事務所があった場所(UR賃貸団地の2階部分)です。

 むすびの事務所の隣にはフローリングの比較的広い空間があり、そこを「むすび倶楽部」として、オレンジカフェ、PUBむすび、歌声喫茶、各種研修等々に利用しています。広間の隣には開閉できるカウンターがついたキッチンもあって、最終月曜日のアリスでは、食事会を開催しています。

 このように、とても利用価値のある空間なのですが、そこに大きな問題がひとつ。光が丘という街自体の造りにも関係すると思うのですが、この団地の住人の入口エレベーターホールは1階にありますが、むすびの事務所へ行くには外階段を上って直接2階へ行くしかありません。そして、それが結構急な階段なので、高齢者、特に足が不自由な方にとっては、この階段がネックとなって、むすびのイベントやカフェに来られないという声が多く聞かれるのです。車いす利用の方に至っては、むすびに来ることができません。せっかく良い事業をやっても、来てほしい方に来てもらえない状況になっています。 ただ、その2階部分のすぐ横にはてんびん橋という、光が丘のメイン道路を渡る橋が建物と並行してかかっていて、素人目には柵さえ取っ払ってちょっとしたスロープでもかければ、その橋から直接2階の事務所へ入れそうに思えるのです。

 今回、オレンジカフェアリスの参加者が練馬区の行政相談委員の方と知り合いになったことがきっかけで、むすびの事務所の橋からの接続問題について、なんとかならないか、という相談をその方にもちかけました。相談委員の方はすぐに現場であるむすびの事務所を見に来られて、相談内容をURと練馬区に伝え、色々と働きかけてくださいました。

 一時は結構良い感触との経過を聞いていましたが、結論としては、建物の持ち主であるUR都市機構が「難しい」と判断したとのこと。それについての経緯の説明と行政相談委員の仕事についての話が本日のカフェアリスで、関わってくださった行政相談委員の方からありました。

 UR、練馬区ともに建物や橋(区道になるそうです)の耐荷重量等を再計算するとともにURでは他の可能性(外付けエレベーター、他に使える空き部屋がないか 等々)も検討した結果、建築基準法の関係や費用の問題もあって、『どうしようもない』との結論に達したとのことです。行政相談委員の方によると、UR側も担当者はとても熱心に動いてくれて、練馬区も基本的にはURが持ち主である建物のことなので、URで何とかなれば、区も動くというスタンスだったようです。

 実はこの問題、私個人的にも何とかならないかと考えていて、関係者の署名を集めて議会に陳情書を出そうか…などと思ったことも。だって「NPOむすび」は練馬区が推進する「街かどケアカフェ」として区と協定を結んでいる場所なのに、そこに高齢者や障害者が来にくいというのはどう考えてもおかしい気がします。

 ただ、今回行政相談委員がUR,練馬区との間に立って色々と奮闘してくださり、それでも難しいということになったのであれば、これ以上どうしようもないのかと、ある意味納得せざるを得ませんでした。

  今までも行政相談委員という方がいることは知っていましたが、具体的にどのようなことをしているのか、どんな時に相談できるのか、ということはよくわかっていませんでした。今回行政相談委員の役割や実際にどんな相談を受けているのか、そして改善された例を聞くことができて、とても参考になりました。また、行政相談委員は無報酬でその仕事をしているということを知って、とても驚きました。

 本日のアリスでは、行政相談委員のお話の他に、読売新聞WEB版を担当する方がみえて、ご自身の仕事について説明するとともに、昔の新聞を利用した『回想法』を実践するためのDVDを発売するということで、そのPRとアリス参加者に対してのインタビューをされました。

  このようにオレンジカフェアリスでは、フリートークのほかに、毎週ではありませんがミニ講座として色々ためになる話を聞く時間があります。薬剤師、看護師、福祉用具といった専門家の話や消防署、清掃事務所の職員による出前講座に加えて、アリス参加者がそれぞれの経験や専門知識を披露することもあります。こういったプログラムも、むすびのネットワークや参加者自身の提案、人脈によるところが大きく、生活に活かせる知識も多いので、話を聞く側もとても熱心です。私個人としてもとても勉強になります。

 これからもどんな話が聞けるのか、楽しみなアリスです。

「ウイズタイムハウス」内覧会見学

2018年5月12日(土)

 練馬区大泉学園町に「ウイズタイムハウス」という名前の、新しい形の共同住宅がオープンします。高齢の人、障害のある人、子育て中の人など、「生活に少しサポートがあると暮らしやすくなる」という人が入れる2階建ての共同住宅で、1階は地域の障害のある人の働く場としてカフェを運営したり、地域に開かれたイベントを行ったりするそうです。

 「ウイズタイムハウス」オープンにあたっての内覧会が5月12日(土)、13日(日)に開催されるということで、いつも第一土曜日の午後に集っている「プレケアカフェ」の出張版ということにして、何人かのメンバーで見学に行って来ました。

 まだ外構工事の途中でしたが、大泉学園町の閑静な住宅街の中にあるベージュの壁のきれいな建物は2階が8部屋の個室になっていて、既に東日本大震災を機に東北から東京に避難してこられた高齢の方が入居されているそうです。1階のオープンスペースはフローリングの気持ちの良い空間で、壁際には白いピアノが置かれていました。

 この住宅を運営する「一般社団法人 ウイズタイムハウス」の代表は、練馬区議で社会福祉士でもある加藤木桜子さんです。地域で色々な活動をされていますが、もともとやっていた若者支援や映画の上映会等の活動も今後は「ウイズタイムハウス」の活動として行っていくそうです。

 また、1階のスペース「ウイズタイム」を地域に開かれた場にするためのイベントや、棚作りやまかないカレーを作るといった作業を行うプロジェクトを立ち上げ、そのための資金を募る手段として、クラウドファンディングを活用するとのこと。

 本日の内覧会には大勢の人が見学に訪れていて、意外な出会いがあったり、新たなつながりもできました。また、ワンコインで提供された、練馬で『旬の地場産野菜と発酵食を毎日の食卓に』と活動している《ねりベジ》yaさんのおむすびと手作り味噌のお味噌汁(野菜の具がたっぷり)はとても体に優しく美味しかったです。

 既存の制度にとらわれない新しい形の共同住宅が、地域の中で今後どのように根付いていくのか興味深いところです。

家族信託についての講演会

2018年4月1日(日)

 3月11日(日)に特定非営利法人成年後見推進ネットこれからの第11回総会が開催され、理事として再任されました。また、立ち上げから代表を務めてきた小泉晴子が10年の節目に退任し、石川正博が新しく代表に就任いたしました。今後とも新しくなった「これから」をどうぞよろしくお願いいたします。

 この総会に先立ち、記念講演として「家族信託を知ろう〜安心の老後を過ごすために」と題して司法書士で家族信託普及協会会員でもある海埜千果(うみのちか)氏にお話をしていただきました。早い時期から各方面にチラシを配布したこともあり、当日はスタッフも含めると100名近い参加者が集まり、家族信託への関心の高さを感じました。
 講師の説明は家族信託の基本的な仕組みから、信託を使ってうまくいった実例等家族信託の入門としてはわかりやすいものだったと思います。
 信託の基本的な登場人物は3人で、自分の財産を預ける委託者、それを預かって管理、運用、処分等をする受託者、そして預けた財産の恩恵を受ける受益者です。家族信託の場合は親が委託者となって、受託者となる子どもに財産を預け、自分が受益者となって自分のために財産を使ってもらうという形が基本です。
  例えば認知症対策としては、遺言や成年後見制度の利用も考えられますが、遺言は本人が亡くなった後にしか効力を発生させられないですし、成年後見制度は手続きが大変で時間もかかることに加え、家庭裁判所の監督を受けるので、財産の自由な管理処分が難しくなるという、どちらかというと短所があります。それに対して家族信託を導入すると、本人が認知症になった後も、裁判所の監督は受けることなく、受託者の判断で本人の財産を管理、利用、処分することが可能です。
 他にも、複数の委託者が共有している不動産の管理を一人の受託者に一括して任せることができるので、例えば不動産の共有者の一人が認知症になってしまった場合でも、何もしていなければ成年後見制度を利用して裁判所の許可を得て処分をしなければいけないという煩雑なことになりますが、家族信託を利用することによって、受託者一人で手続きできるというメリットがあります。

 このように書いていくと良いことばかりのように受け取られるかもしれませんが、受託者の権限の濫用を防止する手立てが必要であったり、委託者・受託者以外の家族との関係が難しく、かえって家族間の争いを生む可能性もあるといった面も理解して、上手に利用することが大事だと感じました。 何より、高齢者が元気で判断能力がしっかりしているうちに、自分の財産をどうしたいか、誰に託したいのかを考えて、家族できちんと話し合っておくことが大切です。そして、これは家族信託の導入を考える場合に限ったことではないですね。


 NPO法人成年後見推進ネットこれからのブログにも講演会について載っていますので併せてご覧いただければ幸いです。

 http://blog.canpan.info/korekara/

光が丘の雪景色

平成30年1月23日(火)

 東京に4年ぶりの大雪が降りました。 ちょうど4年前に大雪が降った後にインフルエンザを発症し、その後具合が悪くなったので、その時のことはよく覚えています。あれから4年なんだなぁと感慨深い思いがします。

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 昨日雪が積もり始めた頃の光が丘駅と家のベランダからの風景、そして今朝の雪景色とベランダから見た日の出を写真に撮りました。とてもすがすがしい気分で1日が始められそうです。

 ただ、昨日の東京は交通機関に遅れや運休が相次ぎ、道路も大混乱。本当に東京は雪に弱い都市だなとあらためて感じました。

 今朝は雪がやんで晴れているものの、積もった雪が凍りついているところもあるので、滑らないように気をつけないといけないですね。事故のないように祈ります。雪と日の出→

2018年新年のご挨拶

2018年1月9日(火)

 明けましておめでとうございます

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  昨年はたくさんの出会いがあり、皆様に支えられた1年でした。心より感謝申し上げます。
 今年も様々なご縁を大切にして、新しいことにもチャレンジしていきたいと思います。
  嫌なことはすぐに忘れて(?)笑顔を忘れずに! をモットーにします。

 個人的には終末期の医療の問題や家族信託について研究してみたいと考えています。 また、人に物事を伝えることの難しさを痛感するこの頃(前から?)なので、少しでも自分の考えや事実を相手にきちんと伝えられるように、実践を積み重ねていきたいと思います。

 どうぞ皆様にとっても幸多い1年となりますように、心よりお祈り申し上げます。

今年の夏を振り返る(2)

2017年11月5日(日)

 この夏の思い出に残ることとして、もうひとつあげるとするなら、ミュージカル「ビリー・エリオット 〜リトル・ダンサー〜」の舞台を観たことがあります。

「リトル・ダンサー」という映画のストーリーがもとになっているのですが、イギリス北部の炭鉱の町に暮らす11歳の少年ビリーがバレエに出会い、プロのバレエダンサーになる夢をかなえようとする姿を、家族や周りの大人たち、友人との関係とともに描いた舞台です。エルトン・ジョンが作曲を担当しているミュージカルで、ロンドンで初演されてから今までに、ブロードウェーを始め世界五大陸で上演されて、好評を博しているそうです。

 日本では1年以上前から主役となるビリー役についてオーディションを行い、バレエ、体操、タップ、歌等のレッスンをしながら、次第に人数を絞って、最終的には5人のキャストが選ばれて、交代でビリーを演じるということでも話題になりました。

 私は「ビリー・エリオット」というミュージカルを上演するということはなんとなく知っていましたが、当初は特に見たいという気持ちはありませんでした。ところが、テレビでビリーの父親役である吉田鋼太郎さんが「ビリー・エリオット」の舞台の魅力を語っているのを聞いて、特にビリー役の少年たちについて絶賛していたのですが、「これは見なくちゃ」と強い想いに突き動かされて、すぐにチケットを手配してしまいました。キャストについては、少年は5人、他のメインキャストも何人かの交代で演じることになっていて、私は父親役を吉田鋼太郎さん、バレエの先生を島田歌穂さん、ビリーの祖母を久野綾希子さんが務める舞台を選びました。ビリー役は木村咲哉さん。

 劇場はTBS赤坂ACTシアター。ここへ行ったのは初めてでしたが、広すぎず、舞台を鑑賞するにはちょうど良い大きさだと感じました。

 主役のビリーは上演時間中ほとんど出ずっぱりで、歌い踊り、ある時はバレエダンス、あるシーンではタップ、そしてアクロバティックなダンスも交えて感情をぶつける演技は、見る者の心にダイレクトに訴えかけ、役と実際の少年の姿が重なって、どんどん引き込まれていきました。炭鉱の男を武骨に演じる鋼太郎さんもいいなぁ。ビリーの才能に気づいて育てようとするバレエの先生役の島田歌穂さんはさすがに歌が上手!ただ、大人たちの言葉が「〜ったい」といった九州弁(…だと思うのですが…)なのが、私にはちょっと違和感がありました。

 メインキャストはもちろんすばらしいですが、それを支えるアンサンブルがまたステキ!コーラスは時に力強く、時にはユーモラスに。人の声の重なりって、無条件に心の中に響き渡り、心を揺さぶられます。最後のカーテンコールでは、鋼太郎さんが慣れないタップに必死になっている様子がまたチャーミング!

 劇場を後にする時も、とても爽やかな気持ちになって、素直に観てよかったと思える舞台でした。東京公演の後は大阪梅田でも公演があり、確かちょうど今日あたり最終日だったのではないかと思います。結局かないませんでしたが、他のキャストの回も観たかったなぁ。

今年の夏を振り返る(アウトドア編)

2017年10月30日(月)

  今年も夏が終わったと思ったら、もう11月が目の前。忘年会の話も聞こえてくるシーズンになってしまいました。1年が過ぎる速度の速いこと! 今頃になってですが、今年の夏について振り返ってみました。

一番の思い出は、何といっても屋久島への旅です。お天気に恵まれて、自然の中をひたすら歩いた二日間は、今から思うと夢の中の出来事のよう。

 本当はその後に富士山にも登る予定にしていたのですが、訳あって、今年も富士山には行くことができませんでした。今年の新年のご挨拶では「目指せ富士山!」などと調子よく掲げてしまいましたが、やはり富士山は日本一の山。そうそう簡単には登らせてもらえないようです。もしかすると私には縁がないのかもしれない…と思ったりもします。「目指せ!」と意気込むよりも、いつか登ることができたらいいな、と目標にする程度にしておくことにしました。

 富士山には行かれませんでしたが、富士登山の前哨戦(?)として秩父の武甲山に登ったことも楽しい思い出です。お天気がすっきりしない中でしたが、それはそれでモヤに霞んだ幻想的な山の姿はとても印象的でした。

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