酒井玲子の日々

2009.09.15(火)
    「 酒井玲子の日々」を訪れてくださってありがとうございます。
 どうやってここにたどり着かれたかはわかりませんが、これも何かのご縁です。
 酒井玲子ってどんな人間なの?? と興味を持っていただけたら、時々のぞいてみて
 ください。
  私自身は、一期一会を大事にしたいと思いながら日々生活していますので、
 そんな酒井玲子のつぶやき、出会った人々、読んだ本の感想、
 失敗談(たくさんあって困るだろうなぁ)、もちろん仕事のうえで参考になるようなことも
 色々と徒然なるままに書いてみたいと思っています。
  

ドキュメンタリー映画「けったいな町医者」

2021年4月4日(日)

「けったいな町医者」小.jpg 大阪尼崎で在宅医をしている長尾和宏医師の著作を原作とする映画「痛くない死に方」と同時に公開となった、長尾医師本人の在宅医としての日々を追いかけたドキュメンタリー映画「けったいな町医者」も観てきました。

 運転しながら電話できるシステムを搭載した車で患者さんのところを回る様子。患者さんやその家族との対話。電話を受けて、必要なら「今から行きます」と、どこにいても駆けつける姿。クリニックでの患者さんとの軽妙なやり取り等々。患者さん本人だけでなく、その家族の想いや気持ちも聴き取って、できるだけ希望に添うように真摯に向き合う姿が映し出されていました。そして、クリニックで開かれる患者さんと家族のためのクリスマス会に向けて、忙しい合間を縫って一生懸命歌を練習する様子には、全力で人を楽しませようとする先生の心意気を感じました。

 実際の患者さんの例がたくさん出てきましたが、中には元気なうちにきちんとリビングウイルを自分で書いて、色々な準備をして、妻への感謝の気持ちも書いていた男性もいて、長尾先生も「すばらしい」と感嘆していました。

 長尾先生のような在宅医が身近にいて、そういう医師に出会えた人は幸せだろうなと思います。これから、在宅での医療や看取りが推進される中で、どれだけ患者や家族に対して言葉を尽くして向き合ってくれる在宅医や訪問看護師等の医療や介護のチームが地域にあるかということが、本来の地域包括ケアの実現につながるのではないかと感じました。そして、私は医師でも看護師でもありませんが、関わる人に対して『言葉を尽くす』ことがどれだけできているだろうか、元々話をすることが得意ではないけれど、それでも誠実に相手に対して言葉を尽くすことによって信頼関係が生まれると思っているので、これからも努力して、誰に対しても言葉を尽くせるようになりたいと思いつつ、銀座の映画館を後にしました。

 

『痛くない死に方』

2021年3月30日(火)

「痛くない死に方」小.jpg 在宅医療に関する映画を続けて2本観ました。

実際に大阪の尼崎で在宅医療に携わっている長尾和宏医師の著書を原作とする『痛くない死に方』と、その長尾医師の日常を追ったドキュメンタリー『けったいな町医者』の2本です。

 長尾医師の著書のうち『痛い在宅医』と『男の孤独死』を読んだことがあったのですが、今回の映画は物語の前半は『痛い在宅医』に出てくるエピソードが基になっています。

 物語の前半で、患者を苦しませて死なせてしまった「痛い在宅医」だった医師が、先輩在宅医の現場を体験することによって大事なことを教えられながら成長し、後半では自分の担当患者とその家族に寄り添いながら、患者とその家族を平穏死に導いていく様子が描かれています。

 主人公の医師を柄本佑さんが演じているのですが、最初は眼鏡をかけて白衣を着て、どこか他人事のようなのに上から目線の医師だったのが、先輩医師に同行して、患者さんが在宅で家族に囲まれて穏やかに亡くなっていく現場を体験することによって、何を大切にすべきなのかを学んで実践していく後半は、白衣でなく普段着で患者さん宅を周り、表情豊かな顔には眼鏡はなくコンタクトに変えている。その対比もとても印象的でした。

 柄本佑さんはNHKのドラマ『心の傷を癒すということ』でも精神科医の役をされていてましたが、なんとなくその姿と重なるものがありました。役柄的には全く違いますが、医師としてのたたずまいといったものが…。

 この映画を通して、本人が元気なうちからどのような死を迎えたいのかを考え、それを家族や周りの人と共有しておけるか。人が亡くなる時には実際にどのような状態になって、どんなことが起きるのかということを知っているかどうか、そして何よりどんな在宅医を選ぶのか、それらによって人の最期はこんなにも変わってしまうのか、ということをまざまざと突き付けられたように感じました。

 ドキュメンタリーほうはまた次の機会に。

2021年 新年のご挨拶

*2021年新年のご挨拶*

 新年あけましておめでとうございます。

 昨年の今頃は、1年後に今のような世の中になっているとは想像もしませんでした。新型コロナウイルスの感染拡大による三密の回避や活動の自粛は、あたりまえだと思っていた日常がどんなに大切なものだったのかということに気づかせてくれました。

 年が明けてもコロナ禍はすぐに終息しそうもありません。そんな中でも懸命に仕事をしてくださっている医療・介護従事者や、生活に欠かせないエッセンシャルワーカーの皆さまには心から敬意を表します。そして、自分が感染しないよう、人にも感染させないように十分注意しながら、今できることを一生懸命考えて、少しずつでも前に進んでいきたいと思っています。

 本年が皆様にとって、少しでも明るい希望を見いだせる年となりますようお祈り申し上げます。

2020年最後のうれしかったこと

2020年12月31日(木)

 昨年お亡くなりになった方の自筆証書遺言の内容に沿った手続きが終了し、銀行から振込があったと受遺者の方からご連絡をいただきました。かなり難儀したケースだったので、今年の最後の最後に無事すべての手続きが完了したということで、とてもうれしく、ホッとしました。

 私が後見人等としてお手伝いしていた方が昨年お亡くなりになったのですが、まだある程度しっかりしているときに、自筆での遺言書を書いておられました。家庭裁判所での検認手続きは相続人のお1人が司法書士に依頼して終わったのですが、その後の相続手続きを行政書士として私が受任しました。

 普通ならば問題なく遺言書の内容に沿って手続きできるはずなのですが、そうはいかない事情があり、そのうえその対応が金融機関によって違っていました。ご本人はご主人を亡くされてお子さんはいないので、遺言書がないと高齢のご兄弟や甥姪が10人以上相続人となって、とても分割協議ができる状況ではありません。それをわかっていたからこそ遺言を準備していらしたのです。

 銀行の要求はかなり困難なもので、とても無理と思えて、監督人だった司法書士や知り合いの弁護士にも相談したりしましたが、なかなか「これ」という解決策は見つかりませんでした。ただ、ご本人の意思を表したのが遺言書なので、なんとかそのお気持ちを実現したいという想いで、銀行と交渉し、要求された書類を揃え、3か所あった銀行について、容易にできそうなところから手続きしていきました。受遺者の方々やそのご家族にも協力していただき、ようやく最後の銀行からの振込が年末に完了したというわけです。途中で、もう私では無理ではないかと思ったこともありましたが、あきらめずにやって本当に良かった。受遺者の方々にも喜んでいただけて、私もうれしかったです。一足早いお年玉をいただいた気分です。

 今年1年困難なことはたくさんありましたが、最後に良いことがあって、新しい年はいいことがあるかもしれない、と明るい気持ちで新年を迎えられそうです。

 今年も色々な方に支えていただいた1年でした。皆さまに感謝申し上げます。新しい年もできる事をコツコツやっていこうと思っていますので、どうぞよろしくお願いいたします。
皆さまにとっても希望に満ちた年になりますよう、お祈り申し上げます。

 

今日のうれしかったこと(持続化給付金)

2020年12月8日(火)

 コロナ禍における持続化給付金の申請について、個人で古紙回収業をしている方から、パソコンも持っていないので申請のサポートをお願いしたいという依頼がありました。

 持続化給付金は、新型コロナウイルスの感染症拡大によって大きな影響を受けた事業者に対し、事業の継続を支えるために事業全般に広く使える給付金です。新型コロナウイルスの影響等で、事業収入が前年同月より50%以上減少した月がある場合に支給されます。前年の確定申告表や該当月の売上帳といった必要書類を揃えて申請するのですが、要件に該当して、必要な書類が揃っていれば、比較的すぐにもらえるものです。

 今回ご依頼いただいた方は60代後半で個人で古紙回収業を営んでいて、コロナのせいで収入は激減。このままだとお先真っ暗とまでおっしゃっていました。昨年の収入や今年の売上を見ると、給付金の要件には該当しているようです。ただ、添付する必要がある確定申告の控えが見当たらないとのこと。知り合いの税理士さんに納税証明をとればよいことを聞いて、ご本人と一緒に税務署で納税証明を入手して私のパソコンで申請したところ、必要な資料が揃っていないとの連絡が。やはり確定申告第一表が必要とのこと。再度税理士さんの知恵を求めたところ、税務署で確定申告の控えを閲覧でき、写真撮影もさせてもらえるとのこと。再度ご本人と税務署へ。次の確定申告の参考にするために閲覧するというのが本来の目的らしいのですが、このコロナ禍で色々な給付金を申請する際に必要となるため閲覧を希望する人が多いらしく、申請書の目的には「コロナ禍における支援を受けるため」と記入してくださいと言われました。そして、職員の見ているところで該当資料をタブレットで撮影して、再度オンライン申請した数日後。ご本人からの電話で「今、銀行から振込があったとの連絡がありました!」との報告が。「これでなんとか年が越せます」と喜んでいらっしゃったので、私も「やったー!」とうれしくなりました。

 不正受給が増えているとの報道もありますが、本当に必要な方のところには、きちんと届いてほしいと心から願います。本当に良かった。

NPO法人成年後見推進ネットこれから「会員のつどい」

2020年11月15日(日)

 私が理事長を務めるNPO法人成年後見推進ネットこれからの『会員のつどい』が11月8日(日)に無事終了しました。

  詳細は「これから」のブログに掲載しましたのでお読みいただけたら幸いです。

https://blog.canpan.info/korekara/

佐藤先生写真2リサイズ.jpg

  今回の会員のつどいの一番の目的は、皆さんに集まっていただいて、直接話をすること。そして少しでも笑顔になっていただくことでした。一応何もないと話も出にくいのでは、ということで『コロナ禍の中で考えたこと(生活や医療・介護について)』という大まかなテーマを掲げましたが、とりあえず皆さんに好きなことを話していただけるようにしました。まだコロナ禍は続いている中なので、できうる限りの感染防止対策をすることが大前提で、もう一つ工夫したこととして、若い世代とも交流できたら、お互いに意義のある集いになるのではないかと考え、福祉を学ぶ学生さんにも参加していただくようにしました。

 『会員のつどい』なので、会員を中心にチラシを郵送してご案内したぐらいで、あまり広く広報できなかったので、最初はなかなか参加の申込みも増えず、スタッフだけになっちゃったら…と心配したのですが、少し前にスタッフが手分けして会員さんにお誘いの電話をしたところ、最終的には参加者13名、スタッフ6名、先生と学生さん計5名で、24名と、会場の広さに対して丁度良い人数となりました。「電話で背中を押されて参加したけれど、とても良かったよ」と言ってくださった方もいて、丁寧なフォローは大切だなとあらためて感じました。会員の集い写真4リサイズ.jpg

 学生さんからも、授業はオンラインで実習もできない中で、地域の方と話をすることができてとても有意義だったとの感想をいただき、参加した方が皆さん「楽しかった」と言って帰って行かれたのが、私としては何よりうれしく、やって良かったとホッとしました。『人と会う、話す、笑う』という今回の目的達成! これもみんなで色々と考えて工夫を凝らし、準備をし、当日参加してもしなくてもそれぞれの役割を果たしたスタッフのおかげであり、協力してくださった東京福祉大学社会福祉学部講師の佐藤惟先生と参加してくれた学生さん、そしてコロナ禍の中でも参加してくださった皆さま、本当にみんなの気持ちが一つになった成果だと、皆さまに心より感謝申し上げます。

 今までの『会員つどい』は講師をお招きする講演会等が多かったのですが、会の趣旨から考えると、今回のような会員同士の交流ができる形が本来の姿なのかもしれないと考えさせられました。

 

再びの「ビリー・エリオット」

2020年10月30日(金)

 2017年の夏に観た舞台「ビリー・エリオット 〜リトル・ダンサー」が今年も上演されるということで、今回は早々にチケットを手配して楽しみにしていました。ビリー役は今回もオーディションで新たに選ばれた4人の少年。主な大人の役はほぼダブルキャストで、そのうちの一人は初演と同じ。一人ずつが新たに加わった役者さんでした。

 本来は7月〜8月にかけて上演される予定でしたが、新型コロナウイルスの感染拡大により、予定していた舞台は中止。今年は観られないのか…とがっかりしていました。

 秋になって、何かで「ビリー・エリオット」が上演されることになった、との情報があり、チケットを取ろうと思ったところ、劇場に入る観客の数を絞ったこともあったのか、すでに販売終了となっていて、「今年は縁がなかったのかな」とまたまたがっかり。
 ところが、直前販売というかたちのチケットがあるのを、これも何かでみつけて、チケット販売サイトを見たところ、まだ取れるようでした。急いで一緒に行く予定だった娘に連絡して日程を合わせてチケットを予約。ラッキーなことに今年もビリーを観ることができたのです。

 私が今回観た舞台の主なキャストは、ビリー:利田太一さん お父さん:益岡徹さん バレエの先生:柚希礼音さん おばあちゃん:根岸季衣さん。それぞれに魅力的に役を演じていて、今回も舞台に引き込まれるように見入ってしまいました。ビリー役は歌にバレエ、タップ、アクロバットすべてをこなして、もちろん役者としてビリーになり切っている。観る者は、役を演じる少年が成長する姿をビリーに重ねて、劇中の数時間ではあるけれど、一緒に見守っているような感覚になります。

 そして、ミュージカルだけに歌のナンバーがまたすばらしい!劇のもととなった映画「リトル・ダンサー」を見たエルトン・ジョンが感動してミュージカル舞台化を望み、自ら作曲して楽曲を作っているのですが、どの曲もそのシーンにぴったりで、聴いているとその時の登場人物の心情がこちらの心に響いてきます。ビリーやお父さんのソロの曲はもちろんいいのですが、私は「団結だ、団結だ!」と歌う炭鉱夫たちの歌がとても心に残って、今でもそのフレーズが時々頭の中に蘇ってきます。元々英語の歌詞を訳しているわけですが、日本語の歌詞が元の歌詞の意味を損なうことなく、メロディーにも合っていて、違和感なく耳に入ってきます。

 ビリー・エリオットの舞台を見たり、最近はYouTubeでミュージカルのナンバーを歌い継いだりしている動画を見たりすると、ミュージカル、特にアンサンブルの場面がとってもいいなぁ、私はそういうのが好きなんだなぁとあらためて感じています。「レ・ミゼラブル」の「民衆の歌」にも感動。そう思うと、私が中学生の頃にNHKでやっていた「ステージ101」という歌番組で、「ヤング101」というメンバーが一緒に歌って踊っていたのを、毎週カセットテープに録音して何度も聴いては覚えて歌っていたことを思い出します。

 それが私の音楽体験(?)の原点なのかもしれません。今さらながら、何か楽器や歌でも得意なものがあればいいなぁ。何かちゃんとやっておけばよかったと少し残念に思うこの頃です。

9月のこれから塾

2020年9月21日(日)

これから塾202009画像3.jpg

練馬高野台駅高架下の街かどケアカフェこぶしで開催している「これから塾」は、8月に再開することができ、真言宗僧侶で1級FP技能士の高橋泰源氏に動画によるお話をしていただきました。できることを何とか続けたいということで、9月は私、酒井が「死後の手続きと相続問題」というタイトルで、パワーポイントの資料にナレーションをつける形で、やはり動画を上映しました。今回は私もその場にいたので、上映後の質疑応答には直接お答えすることができました。

 人が亡くなった後にやらなくてはいけない手続きを時系列で説明し、特に期限のあるものには注意するようにとお伝えしました。相続については、誰が相続人になるのか、そして被相続人の財産をどのように調べるかといったことから、遺産分割協議で注意すべきことについても説明しました。

 自分の親や配偶者の相続については、本人がある程度元気な時から、本人の相続人が誰になるのか、どのような財産をもっているのか、といったことを把握しておいたほうがよいこと、相続人となる親族とは日頃からコミュニケーションを図っておくと、いざというときに揉めることも少なくなるのではないかということ。親の介護を担っている兄弟姉妹がいたら、日頃から感謝の気持ちを伝えたり、たまには介護を代わって休む時間を作ってあげる等、相手の立場を想像して思い遣る気持ちが大切ではないか、といったこともお話ししました。
 また、成年後見制度と死後事務についてや、民法の改正によって変わったこともまとめてみました。

 私としても、パワーポイントにナレーションを入れるというのは初めての試みでした。何度もナレーション部分を録音し直すことになり、最後には呂律が回らなくなり、気力も途切れそうで苦労しました。また、自分のパソコンではうまくできていたものが、当日会場でお借りしたパソコンで再生しようとしたところ、音声が出ずに慌ててしまいましたが、別の方法で保存しておいたファイルで何とか本番を乗り切ることができてホッとしました。

 今回の資料や動画の作成は必要に迫られたことだったのですが、パワーポイントについても勉強になりました。少しではありますが、できる事が増えたのはうれしいことです。

 

8月のこれから塾終了

2020年8月23日(日) 

これから塾2リサイズ.jpg 8月4日(火)の午後、練馬高野台駅にある「街かどケアカフェこぶし」で久しぶりの『これから塾』を開催しました。

 今回は「得して徳する終活術 葬儀とお墓はどう決める」というタイトルで、川口市にある真言宗のお寺の僧侶 高橋泰源氏にお話ししていただいた画像を流すという方法で行いました。

 その様子は『これから』のブログに載せましたので、ご覧ください。場所を提供してくださった「街かどケアカフェこぶし」と、画像を撮って丁寧な資料も作ってくださった高橋氏には心より感謝申し上げます。状況が許すようになったら、橋氏にはぜひ実際に練馬に来て、お話をして頂きたいと思っています。せっかく再開できた「これから塾」です。今後もなんとか継続していきたいと考えています。 

 下記がこれからのブログです

https://blog.canpan.info/korekara/

 

小さな思い遣り

 

2020年5月25日(月)

 アマリリス(水口邸)リサイズ.jpg自宅マンションの階段を8階まで歩いて上る途中、ちょうど足が重くなり、息がハアハアと上がってくる頃、目の前がパッと明るくなり、思わず笑顔に。ある家の玄関先に置かれた鉢植えのアマリリスの大輪の花は、私の「もうひと頑張り」の原動力になっています。

 この家には90歳の男性が独りで住んでおられます。以前はご夫婦二人暮らしでしたが、奥様が施設に入られて、現在は独り暮らし。最近では外出には念のために杖を使っていらっしゃいますが、お元気で頭もしっかりしていらっしゃる、ダンディでステキな方です。

 この方は、私が日頃から階段を上り下りしているのをご存じなので、普段はベランダで育てている鉢植えを、花が咲くと、見えるようにと玄関先に出してくださるのです。なんて優しい心遣いでしょう。花を見るたびにその方のお顔を思い浮かべて、ありがとうございますと心の中で呟きながら、あと少しの階段を上っています。

NPO法人成年後見推進ネットこれからの理事長に就任しました

2020年4月4日(土)
  今まで練馬区で成年後見制度をもっと身近に、もっと使いやすくを掲げて活動している『NPO法人成年後見推進ネットこれから』の理事を務めておりましたが、前理事長の退任を受けて2020年4月1日より理事長に就任いたしました。
 今後とも『これから』が目指す下記の理念が実現できるように努力していきたいと思っています。
 ☆認知症や障がいを抱えた人の思いが大切にされる社会に
 ☆自分の高齢期を自分で設計、自分で選択できるように

 そして、石川前理事長が掲げた「ご縁を大切にして高齢期を考える」という目標に沿って、会員の皆さまの要望や社会の状況に合った活動をしていきたいと考えています。

 新型コロナウイルスの感染拡大が続く中での厳しい船出となりますが、今後とも皆さまのご支援、ご協力を賜りますようお願い申し上げます。

想いは通じる うれしかったこと(2)

2020年3月7日(土)

 一生懸命願えば通じるのだな、と感じた出来事、その2です。

 何年か前に、終末期医療についての事前指示書、ACP(アドバンス・ケア・プランニング)といったことについて調べていた時に、超高齢社会となった今、高齢者が人生の最後をどのように過ごすべきかを考える時代になったとの認識で、延命治療や在宅医療についての基礎知識や事前指示書の必要性を説いた本『高齢者終末医療 最良の選択 〜その基礎知識と生き方のヒント〜』に出会いました。そしてその著者が、千葉大学病院を定年退職し、松戸市の三和病院で現役の医師として在宅医療にも関わっておられる高林克日己先生でした。
 その著書には、急速に進む少子高齢社会における医療の危機、入院から在宅へと進む流れ、その流れの中での終末期医療をどう考えたらいいのか、そして最後に終末医療についての事前指示書の重要性と、作るにあたっての基礎知識が書かれています。実際に在宅医療に関わる中で出会った事例も豊富に載っていて、とてもわかりやすい本でした。

 そしてその数年後、高林克日己先生の名前と出会ったのが、私が卒業した高校の同窓会誌の中でした。年に1度開かれる全卒業生を対象にした同窓会では、それに併せて記念講演会をやることが多いのですが、平成30年の同窓会の講演会でお話しされたのが高林先生でした。そして、その内容を基にして同窓会誌に寄稿してくださった文章が載っていたのです。
 最初にその文章を読んだ時に 「この名前、どこかで見たような…」と思い、ハタとあの本を書いた先生だ!と気づきました。しかも、高林先生ご自身も同じ高校を出た大先輩だったことが判明。これは何かご縁があるに違いない! そう思ったら何かせずにはいられないのが私です。理事をしているNPO法人成年後見推進ネットこれからの2020年夏の講演会の講師に高林克日己先生をお呼びして、終末期医療の実際や事前指示書の必要性についてお話ししていただけないだろうか、と考えたのです。そして、早速これからの事務局メンバーに諮ったところ、皆さんの同意を得ることができました。

 ただ、高校の先輩といっても、手掛かりは著書にあるプロフィールぐらいで、特に連絡先は書いてありません。連絡を取るには今も現役で診療していらっしゃる病院宛にお手紙を出すしかない状況。しかも、練馬区の小さなNPOで、大した謝礼もお出しできないような依頼にお応えいただけるのかどうか…。それでも、やってみなければわからない、当たって砕けろ! ということで、理事長からの依頼書に、私が先生に講演をお願いしたいと思った経緯、高校の後輩であること等を書いた手紙を添えて、勤務先の病院宛に郵送しました。

 すると、手紙が届いたであろう日から何日もおかずに、理事長と私宛に講演を承諾してくださる旨のメールが届いたのです。思わずヤッター!とひとりで叫びそうになりました。
 しかも、高林先生が在宅医療について最初に現場を見て回ったのが練馬区光が丘近辺であり、息子さんも光が丘に住んでいらっしゃるとのこと。先生も「色々とご縁があるのかもしれません」と書いてくださいました。

 この出来事も私にとってはとてもうれしく、自分が強く願ったことは、できるだけのことをやってみると、いつかは叶うものだなと感じた経験でした。

 高林克日己先生の講演会は2020年7月5日(日)の午後に、石神井公園の区民交流センター集会室で行われる予定です。今は先生のお話を直接聴くことができるのを楽しみにしているところです。

新型コロナウイルス感染拡大により、7月の講演会も中止するとの判断をいたしました。
 今の状況が落ち着いて、安心してたくさんの方に集まっていただけるようになったときにあらためて高林先生にご講演をお願いする予定です(2020.4.16)

想いは通じる うれしかったこと(1)

2020年1月26日(日)

 2019年夏頃に、練馬区内の介護事業所のケアマネージャーから、成年後見制度の利用が必要そうな方がいるけれど、どのように制度に繋げればよいかわからない、とのご相談がありました。

 ご本人は、奥様に先立たれてお子さんのいない90代の男性で、練馬区内の一軒家に一人住まいをしています。このところ認知症の症状が進んできて、生活はヘルパーさんの支援が入ってなんとか成り立っていますが、金銭管理の面で、署名と印鑑でお金を下ろしている金融機関から、自分の名前の漢字が書けなくなってきたということで、もう払戻しが難しいと言われ、困っているということでした。(この方は銀行のカードを作っていませんでした)

 私もご本人にお会いしに行きましたが、デイサービス等には行きたがらずに、一日中家の中のソファに腰かけて過ごしているような感じでした。
 ケアマネが後見制度の利用が必要だろうと考え、弟さんに相談したところ、「もう年齢も年齢だし、費用もかかるから成年後見なんて利用しなくてもいい」と言われ、申立人にはなってもらえない状況でした。そうなると、本人申立か首長(区長)申立でやるしかないのですが、診断書を訪問医に依頼したところ「後見」類型となり、それでも本人申立で実務は司法書士に依頼しようとしたところ、申立の依頼も委任契約になるので、本人が契約できる判断能力がないと難しいと言われ(判断能力がないから後見の申立てをするのに!)断念せざるをえませんでした。

 それならば区長申立でお願いするしかないので、まずは管轄の地域包括支援センターに連絡をして、こういう方がいるので、区長申立をお願いできないか、と伝えたところ、弟さんがいるのなら、区長申立は難しいと言われたのですが、それでも「区長申立をするかどうかに関係なく、まずはご本人の所へ行って状況を確認してきてください」とお願いしたところ、担当の方がご本人の自宅を訪問してくださいました。ただ、ご本人に後見制度について説明してもあまり理解していただけず「そんなの使わなくていい」と言われるし、弟さんも必要性を感じていない状況では、むりやり事を進めることもできず、地域包括もそれ以上は動いてくれませんでした。

 ご本人は、今後お金が出せないと困ることは目に見えているので、後見制度が必要な方であることは間違いありません。それなのに制度に繋がらないのはおかしい!と思い、何か手立てはないだろうか、と色々と考え、知り合いの他の地域包括の職員さんや、社会福祉協議会の権利擁護センターにも相談してみました。そして、預金が下せなくなるといった金融機関のほうから行政に働きかけてもらえないか、とも考えましたが、ご本人が希望しなければそれも無理なことでした。

 そんな折に社会福祉協議会の権利擁護センターが定期的に主催している、区内の成年後見に関わる専門職と行政の担当者が集まる「ネットワーク会議」が開催されました。ちょうどそこに、このご本人の担当である地域包括の職員や区長申立をする場合に事務を行う福祉事務所の係長も参加しており、会議の後には名刺交換をして直接話をすることもできました。今までは電話でしか話をしていませんでしたが、後見制度に関する情報交換をする会議で、日頃抱える疑問や悩みを話し合った後に、直接顔を合わせて話をすることで、お互いの意識も変わったようで、地域包括の方も、このご本人の区長申立について、福祉事務所の担当に相談してみますと言ってくださいました。

 しばらくしてどうなっただろうか、と電話で地域包括に問い合わせたところ、福祉事務所の会議にかけたけれど、家族(弟さん)がいるのだから、その家族の協力が得られないと区長申立も難しいということになったとのこと。「そんなぁ」と思いましたが、そうなったらキーパーソンは弟さんなので、弟さんにもお願いしてみようと電話をしたところ、既に地域包括のほうから連絡が行っていて、ご本人のところで職員にも会って「あとは任せたからよろしく頼みます」というようなことを言われました。再度地域包括に電話で確認してみると、本人と弟さんの了解が得られたので、区長申立の手続きに入りますとのこと。ようやくここまで来たか、という感じで、本当にうれしかったです。

 そのしばらく後に、成年後見人の団体「ぱあとなあ東京」の研修があり、最初の自己紹介の際に、最近あったうれしかったことを話してください。というお題が出たのですが、すぐに頭に浮かんだのがこの件で、「なかなか成年後見制度に繋がらなかった人が利用に繋がったこと」と言っている私がいました。

 途中で諦めずに「何とかしたい」と強く想ったことが結果につながったのかなと思うと、想いは通じるのだなと実感した出来事でした。

 

人生会議

2020年1月14日(火)

「人生会議」とは、人生の最終段階における医療や介護について、あらかじめ医療関係者を含めて家族や周りの人と話し合いをして、自分の希望を伝えておくアドバンス・ケア・プランニング(ACP)に付けられた愛称(?)です。その人生会議について、地域の皆さんに学んで実践してもらうために、練馬区光が丘の地域福祉おたすけ隊と東京福祉大学の佐藤惟講師が主催して開かれた「人生会議講座」は1月13日に全3回を終えました。

 第1回は福祉関係者の話、第2回が医療関係者の話ときて、最終回は私が理事を務めるNPO法人成年後見推進ネットこれからが独自に作成している人生整理ノート「これからノート」の活用について話をさせていただきました。

 1578907808638.jpg「これからノート」の中でも特に重要だと考えている「もしものときの自分の意思」のうちの延命についての自分の希望を皆さんに考えてもらおうと、その材料とするために、「これから」のメンバ―で寸劇をやることにしました。

 母が同居している息子の嫁に、自分はもし終末期になっても、余計な延命治1578907817923.jpg療はしないで、家で静かに逝きたい、という希望を伝えていたのですが、いざ実際にそういう場面になったときに、今までずっと遠くに離れて住んでいた娘がやってきて、「なんでお母さんを病院に入れて延命治療をしないのか」と強く主張し、医師も結局娘の意見には従わざるを得なかったため、母は病院で管につながれてしばらく生かされた後に亡くなった。というシナリオと、同じ設定で、母が自分の終末期についての希望を書面に遺していたので、娘もそれを見て母の希望を知り、家族みんなで母が自宅で静かに亡くなるのを見守った、というシナリオの2パターンを演じました。

 1578907796768.jpg両方の場合を続けて演じて15分程度のもので、やるほうも素人ばかりであまり準備もできなかったので、セリフは飛ぶしアドリブは出るし・・・と、中々思っていたとおりにはいきませんでしたが、その割には皆さんの評判は良かったようです。その素人っぽさが逆に良かったのかもしれないですし、設定を単純にしてわかりやすくしたところも、受け入れられた要因かもしれません。

 その後のグループでの話し合いには、ボランティアスタッフとして参加してくれた日本社会事業大学と東京福祉大学の学生さんも加わって、終末期の医療や介護を中心に、活発な意見交換が行われました。

 今回の連続講座を通じて、地域の高齢者の方たちが、子ども…というより孫に近い世代の若者と話をすることが、とても楽しそうでよい刺激になることを感じました。一方、福祉を志す若い学生さんにとっても、普段はあまり接する機会のない、地域の元気な高齢者がどんなことを考えているのか、ということを知る良い機会になったのだろうと思います。

 思いつきでやってみた「これから劇場」(?)ですが、やる側も結構楽しめて、しかも今回ダメだった点をなんとか改善したいと考えている自分がいたりして…。今回だけで終わりではもったいないと思っているところです。

2020年新年のご挨拶

2020年1月2日(木)

 明けましておめでとうございます。

本年も皆さまが健康で笑顔でいられることを願っています。

 令和元年となった昨年は、“想いは通じる”を実感した年でした。自分がやりたいと強く願った事については、ちょっと無理かなと思っても、できるだけのことをやっていると、自ずと道が拓けて実現できるという経験が重なりました。

 春に開催したドキュメンタリー映画「さなぎ〜学校に行きたくない〜」の上映会は、以前から光が丘で開催できないかと考えていましたが、多くの方の協力によって実現することができました。
 成年後見制度の利用が必要と思われる方が、なかなか後見制度に結び付かなかったときも、必要な人が制度を利用できないのはおかしい、何とかならないだろうか、と強く思い、考えられる手を色々と尽くした結果、最終的には区長申立に至りました。この時も、本当にうれしかったです。
 また、NPO成年後見推進ネットこれからの講演会の講師をお願いしたいと思っていた先生方にも、たまたま伝手があって、そこを通じてお願いすることができたり、お医者様については全く伝手はなく、個人の連絡先もわからない中、たまたま私の高校の先輩だったということが判明し、厚かましくも著書に記されていた勤務先の病院にいきなり理事長と私でお手紙を書いてお願いしたところ、快く講師を引き受けていただけたということもありました。
 詳細はまたブログに書きたいと思っています。

 本年も『自分にできることはとにかくやってみること』を旨として、そのうえで、ワクワクする気持ちを大事にしながら、公私ともに充実した1年になるように努めたいと思っています。

 そして、想いの実現には、周りの色々な方の協力や支援によるところが大きいということも実感していますので、そういった方々への感謝の気持ちを忘れないようにしたいものです。

 皆さまの『想い』もきっと通じるものと信じています。

2020年が皆さまにとって良い年となりますように!

 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

事務所開設10周年

2019.7

 先日知り合いの方から突然胡蝶蘭が届きました胡蝶蘭リサイズ.jpg

誕生日でもないし、なんだろう?と思ったら、『10周年おめでとう!』のメッセージが! そういえば行政書士登録をして事務所を開いてから10年が過ぎたのです。自分でも忘れていることを覚えていてくださったことに感動するとともに、うれしいサプライズに 感謝の気持ちでいっぱいになりました。 

 そして、今まで支えてくださった皆さまにも心から感謝申し上げるとともに、これからもしっかり仕事していかないといけないなと身の引き締まる思いです。

 現状としては今は社会福祉士として成年後見関係の業務がメインとなっています。被後見人等となった方々が安心して暮らせるように日々奮闘(?)しているところです。

 練馬区が来年度からの地域福祉計画(練馬区地域福祉・福祉のまちづくり総合計画)を策定するにあたり、推進委員会が意見を述べることになっていますが、その中の権利擁護部会員になりました。
 私はNPO法人成年後見推進ネットこれからの理事でもあるので、練馬区で活動する成年後見関係のNPO法人の代表という立場での参加です。ぱあとなあ東京の代表としては別の社会福祉士の方が参加しています。小さなNPO法人が活動する中で感じていることを、少しでも発信できたらと考えています。

間に合った遺言書〜後日談〜

2019年12月3日(火)

 前回は、唯一の相続人であるお兄様が認知症になられた方が公正証書を作成して、お兄様のお子さんたちに遺産を残したという例を載せました。その遺言書には財産とは別に祭祀の承継についても書いておきました。私はご本人のご主人が生きていらっしゃるときからお手伝いしていたので、ご主人が亡くなられた際には葬儀の手配や火葬、納骨までお付き合いさせていただきました。その時には奥様は事前に「主人に万が一のことがあったら、ここに連絡してください」と連絡したい人や葬儀社についてもきちんと決めていらっしゃいました。お墓も群馬県で遠くはあるのですが、ご主人がそこがいいと決めて購入されたところがあって、ご主人のご両親もそこに眠っておられるので、ご主人はそちらに納骨されました。そして、永代供養の手続きもされていました。

 そういった経緯があるので、私はてっきりご本人もご主人と一緒のお墓に入る希望をお持ちだと思っていました。そして、遺言書にも「夫と一緒の○○に納骨してほしい。時々はお参りに来てもらえると嬉しい」といった文言を入れておいたのです。

 ところが、遺言書を作成してほどなくご本人が話をすることができなくなった時に、姪御さんから連絡があり、叔母が「実家のお墓に入れてもらうことはできるかしら?」と言ったのだけれど、何か聞いていますか?と言われたので、「えっ! そんな話は聞いていません」とびっくり! だって、遺言書を作成する際には、公証人が内容についてご本人の前で読み上げて「これでいいですか?」と確認し、ご本人は「大丈夫です」とお答えになっていたのですから。
 しかも、姪御さんからその話を聞いた時にはご本人はもう意識がはっきりせず、話もできない状態だったので、確認しようもありません。ただ、姪御さんがご本人からその話を聞いたときに、「実家のお墓に入ってもいいよ」と答えたら、安心したようだったとのこと。さらに葬儀についても、ご主人の時には団地の集会所で関係する方をお呼びして行ったのですが、姪御さんたちは、そういう形式的なものには違和感があるので、自分達親族だけでこじんまりとやりたい、というご希望をお持ちでした。私としては、遺された方のお気持ちが大事だと思ったので、姪御さんたちの望まれる葬儀、納骨をされればよいと思いますとお伝えしました。

 結局ご葬儀は行わず、直葬のような形で火葬炉の前でお別れをする形になりました。参列したのも姪御さん二人とその娘さん、そしてご本人のケアマネ、長くかかわってきた介護事業所の責任者、そして私という顔ぶれでした。その後、実家のお墓に無事納骨を済ませました、とのご連絡を姪御さんからいただいて、これで良かったのだろうなと安どしました。

 結果的には色々なことが無事終わりましたが、遺言書を作成するときには、財産だけでなくて、祭祀承継その他についても、当たり前のことなのですが、きちんとご本人に確認しないといけないな、と深く反省しました。思い込みは怖いです。

 

間に合った遺言書

2019年11月23日(土・祝)

 私が任意後見受任者となっていた80代の女性が7月にお亡くなりになりました。脳性麻痺で手足に麻痺があったので、電動車いすでヘルパーの支援を受けてひとりで生活されていました。判断力には問題なく、しっかりしていたのですが、お体が不自由なので、銀行に行ったり、諸々の手続きをすることが難しく、支援が必要ということで、任意後見契約と同時に任意代理契約を結んでお手伝いさせていただいていました。

 元々乳がんの手術をして、その後も抗がん剤治療を続けていましたが、昨年秋頃から薬の効果が感じられなくなり、その割には吐き気や下痢といった副作用がひどい状態になって体への負担が大きくなったため、抗がん剤治療はやめて様子をみることになりました。
 ご本人は最後までできるだけ自宅で過ごしたいという強い希望をお持ちで、それについては主治医も理解していて、ケアマネージャー中心に訪問医、訪問看護師、ヘルパー等関係者みんなでご本人の希望に添うように支援していました。

 今年の春頃になると手足にむくみが出てきて、痛みの訴えもあったので、主治医の勧めで緩和ケアに移ることになりました。私の中では、緩和ケア病棟に入ると、最期までずっと入院しているイメージがあったのですが、そんなことはなくて、辛い時に入院して点滴等の処置を受け、落ち着いたら自宅に戻ることができるということで、ご本人も一度入院して鎮痛薬の点滴を受け、医師の許可をもらって1週間自宅に戻ることができました。

 この方はご主人に先立たれてお子さんはいません。万一の場合の相続人はお兄様1人ということでした。ただ、そのお兄様が既に認知症で施設に入っているとのこと。そうなると、このままご本人が亡くなった場合は、お兄様がすべて相続することになりますが、お兄様自身が手続きできない状態だと、お兄様に成年後見人を就けないと…ということになってしまいます。それはお兄様のご家族にとっても大変なことです。
 そこで、ご本人に遺言書を作ることを提案しました。お兄様には娘さん(ご本人にとっては姪)が2人います。姪御さんたちもご本人のことは気にかけてくださっていたので、その姪御さんに財産を遺してはどうかとお話しして、ご本人もそうしたいということだったので、急いで公正証書で遺言書を作成することにしました。

 遺言書は作成者の意思を書面に遺すものですから、何よりご本人が自分の意思をはっきり表明して、公証人がそれを確認できて初めて作成することができます。
 ご本人は緩和ケア病棟に入院中で、日に日に状態も悪化していく中、このままご自分の意思を表明できなくなったら遺言書は作れない。どうしよう!と焦りが募りましたが、できる限り急いで戸籍等の必要書類を集めに走り、忙しい公証人の先生にもなるべく早く作成していただくよう無理をお願いしました。もちろんご本人は公証役場に出向けないので、公証人に病室まで来ていただき、私ともう一人、亡くなったご主人の保佐人をしていた社会福祉士が証人となり、ご本人の希望で、緩和ケアの医師も立会う中、無事に遺言公正証書を作成することができました。

 それから間もなく、ご本人は痛みや咳をとる薬によって話をすることができなくなり、遺言書作成から2週間後に病院でお亡くなりになりました。

 その後遺言執行者として相続手続きをして、無事に諸々の手続きが終了したところです。相続人である姪御さんたちにも「遺言書があって良かった」と言っていただけました。

 結果として今回は本当にギリギリのところで遺言書を作成することができました。本当はもっと早くにご本人に状況を説明して作成しておけばよかったと、そこは反省点ですが、間に合って良かったとホッとした例でした。 

 ただ、この遺言書については後日談があるのですが、それはまた次に…。

成年後見セミナーの講師

2019年9月8日(日)

 昨年講師を務めたNPO成年後見のぞみ会主催の「成年後見セミナー」で、ありがたいことに今年も声をかけていただき、お話する機会を頂戴しました。昨年は特に在宅の方の後見活動の実際ということでしたが、今回は在宅に限らず、後見人等として実際にどういう活動をしているかということについて、約1時間、私が担当している方の例を主にお話しさせていただきました。

 成年後見人等がやらなくてはいけないことは大きく分けると、生活、療養看護(身上監護)と財産管理ということになっています。それについては練馬区社会福祉協議会の権利擁護センター「ほっとサポートねりま」で出している『成年後見制度ガイドブック』にわかりやすく出ているので、それを参照していただくことにして、では、実際はどういうことをやっているの?という部分をお話ししました。ただ、ご本人も皆さんそれぞれ違う人、違う環境なので、後見業務も1件1件違ってくるはずです。あくまでも私が行っている身上監護の例ということでご承知いただいたうえで聴いていただきました。

 私がお伝えしたかったことは、まず、後見業務をするうえで、対象となるご本人のことを知ることが大事だということ。その方が今までどんな生活をしてきて、どんな仕事をして、何を大事に考えてきたか、趣味は? そういったことを知ることによって、その方らしい生活とはどんなものか考える手掛かりになります。
 ご本人とコミュニケーションがとれるようであれば、面談を重ねる中で色々と話を聞いていく、それが難しい場合はご家族や周りの支援者に聞いたり、ご本人の自宅や衣類、持っているもの等から類推することもできると思います。

 それから、延命治療をどうするかということについては、ご本人しか決める権利はないはずなので、あらかじめお元気な時に確認しておく。認知症や障害があっても、ある程度は希望を表明することはできると思うので、聞いておいて、できればそれを書面に残しておくことが大事だと思います。

 また、終末期の延命治療については、元気な時に考えることと、実際そういう時期になってしまってから思うことでは違ってくることもあるはずです。ですから、一度聞いてそのままではなくて、折にふれて確認するということも必要です。

 のぞみ会の皆さまにはこのような機会をいただき感謝申し上げるとともに、少しでも参加してくださった方々の参考になったのであれば幸いです。

相次いだお別れ

2019年8月23日(金)

 今年の7月には任意後見契約を結んで任意代理人としてお手伝いしていた方と、成年後見制度の保佐人として支援していた方が続けてお亡くなりになってしまいました。

 どちらも高齢の女性で、ご主人が先にお亡くなりになっていて、お子さんはいなかったので、ご自身の兄弟姉妹の子どもである姪ごさんが最期に関わってくださって、亡くなった後はその姪御さんたちのご意向で、お身内だけですぐに荼毘にふされました。どちらの方の火葬にも立ち会わせていただき、7月は2回同じ斎場へ足を運ぶことになりました。

 任意後見受任者(任意代理人)としてお手伝いさせていただいていた方(Aさんとします)は脳性麻痺による四肢麻痺だったので、電動車いすを利用して都営住宅で1人暮らしでした。判断能力はしっかりしていたので、ご自分の希望をしっかり表明できて、最期まで自宅で過ごしたいと望んでおられました。

 被保佐人の方(Bさんとします)は認知症で、有料老人ホームで生活されていました。短期記憶の保持が難しいので同じ話を何度もされますが、明るくウィットにとんだ会話のできるステキな女性でした。

 どちらもある程度お元気なときに、ご自分で自分の終末期には延命治療はしないでほしいということを表明されていました。Aさんは乳がんの手術をしていて、その手術をした医師が大好きで、先生の言うことなら何でも聞きますと公言されていましたし、医師も何かあれば自分の病院にくればいいからと言ってくださっていました。そして、できる限り自宅で過ごしたいというご本人の希望については、ケアマネージャー、訪問医、訪問看護師、ヘルパー等々関係者が皆で情報を共有していて、できるだけ本人の希望に添うようにしましょうという合意ができていました。結果的に最期は病院でお亡くなりになりましたが、ある程度ご本人の希望を叶えることができたと思っています。

 お二人とも周りの人を気遣ってくださる優しくて明るい方で、そのお人柄故に関係する周りの人は皆ご本人のことが大好きでした。認知症であっても、障害があったとしても、人として人生の最期の時にどのように過ごすか、どのように周りの人と関わるかということについて、とても良い見本を示してくださったように感じて、そんなお二人と関わらせていただけたことはとても有難く幸せなことでした。

 まだお二人の笑い声が耳の奥に残っているような気がします。Aさん、Bさん、ありがとうございました。どうぞ安らかにお眠りください。

再びの富士登山

2019年8月4日(日)

影富士リサイズ1.jpg 今年も富士山に登ってきました。昨年『一生に一度は富士登山』ツアーに参加して、素晴らしい体験をしたものの、登山の大変さや下山後しばらく残った筋肉痛を考えると、もう富士山はいいかなと思っていたはずなのに…。昨年、一緒にツアーに参加しながら、高山病のために登頂を断念した仲間のリベンジで、今年も別のツアーで富士山を目指す、という話が持ち上がったのを聞くと、何だか気持ちがざわつき始め、しかも昨年登頂した人は今年は富士火口一周する「お鉢巡り」に参加するという話。それでは私もということで、結局今回は3人で富士山を目指しました。

剣が峰を指すリサイズ.jpg つい先日まで雨続きだったという富士山も、今シーズン一番の晴天。しかも途中は霧が出てちょうどいいぐらいの涼しさとなり、最高のコンディションでした。今年は初日に八合目まで登って山小屋で休み、夜中に出発したので、頂上を目指す渋滞の列の真っただ中に入ってしまいましたが、その分じっくり夜空を眺める余裕があり、それこそ手が届きそうな星を堪能しました。
 昨年、頂上に着いてから御来光までの間、本当に凍えるかと思うほどの寒さを味わったので、寒さ対策ばかり考えていましたが、今回は頂上に着く時間もちょうどよく、風もほとんど吹いていない中、寒さを感じることもなく、お鉢巡りの途中で富士山の火口越しの御来光を拝むことができました。反対側を見るとくっきりと影富士が!富士登山では富士山を見ることはできないと思っていたので、とても感動的。右上の写真は御来光後に最高峰の剣が峰手前で撮ってもらったものです。

 ザックリサイズ.jpg結局、昨年登頂を断念した仲間もリベンジを果たし、その他はお鉢巡りをすることができて、今度こそ富士山は卒業かなという感じです。もう一人の重大なミッションは富士山頂の電子基準点と二等三角点を確認することでしたが、お鉢巡りをして剣が峰まで行ったことにより、それも無事達成されました。

 右は私と屋久島から二度の富士登山を共にしたザックです。2018年と2019年の『富士山保全協力者証』(木札)がついています。鯉のぼりは今回のツアーのメンバーの印として配られたもの。
 何度登山をしてもパッキングがうまくならないのが昔からの悩みですが、今回もその課題は残されたままでした。必要最低限のものだけを持ち物とするということは、自分の生活の中でも大事なことだけれどできていないと痛感しています。

 東京に戻った時のモワッとした空気は何とも言えず不快です。富士山の爽やかな風を思い出しながら、早く涼しくなるのを待ち望んでいます。

 

 

 

 

NPOこれからの講演会「第二の我が家、ホームホスピスでむかえる終末期」

2019年6月2日(日)

 5月18日(土)にNPO法人成年後見推進ネットこれから主催の講演会「第二の我が家、ホームホスピスで迎える終末期」が開催されました。小平でホームホスピス楪(ゆずりは)を運営されている嶋ア叔子様を講師にお迎えして、そもそもホームホスピスとはどういうものか、そして、楪を立ち上げるに至った経緯や楪での日常について、スライドを交えてお話ししていただきました。また、楪でお母様を看取ったご遺族からは、ホームホスピスで過ごすことの意義や看取りを経験した感想等を具体的に伺うことができました。

 参加してくださった方には、まだ日本中でも数が少ないホームホスピスについて知る機会を提供するとともに、私たち自身も良い勉強になりました。

 ちょうど、この講演会があった次の週、5月25日(土)の日本経済新聞夕刊のコラム「明日への話題」に、緩和ケア医の山崎章郎先生が楪のことを書かれていました。山崎先生は嶋ア様のお母様を看取った医師で、楪にも在宅診療医として関わっていらっしゃいます。

 講演会の詳しい報告はこれからのブログに掲載していますので、ご参照ください。

 http://blog.canpan.info/korekara/

 

「さなぎ」上映会&交流会を開催しました

2019年5月21日(火)

 5月19日(日)は地元光が丘のNPOむすびで、ドキュメンタリー映画「さなぎ 〜学校に行きたくない〜」の上映会&交流会を開催しました。私の持ち込み企画のような感じで、どれだけの方に来ていただけるか不安もありましたが、定員を上回る40名の方に参加していただくことができました。 
さなぎ上映前リサイズ.jpg 映画を観ていただくことが一番の目的ですが、不登校や子育てで悩みを抱える方が、その悩みや想いを話せる場、そして相談窓口等の情報を提供する場にもなればと思い、資料を用意したり、上映後には三浦淳子監督にもお越しいただいて、撮影時のエピソードやその後のこと等をお話しいただくとともに、皆さんからの質問にもお答えいただく時間を作りました。
 機材のトラブル等で音声がはっきり聴き取れない部分もあって、監督にも皆さんにもご迷惑をおかけしましたが、何とか無事に終了してほっとしています。

 上映にあたってはたくさんの方に協力していただきました。まちかどシネマという不思議なグループ(?)のメンバーにはステキなチラシを作っていただいたり、急なお願い(無茶ぶり)にもかかわらず、交流会の進行を和やかに進めていただいたり、練馬の珈琲豆屋ビーンズアクトさんには宣伝でお世話になりました。仲間に協力してもらって、資金作りのためにリサイクルマーケットへの出店もしました。また、私がメンバーとなっている「NPOむすび」には主催を引き受けてもらい、会場や機材の提供、何よりもメンバーには準備や当日の運営で本当にお世話になりました。むすびで開催しているオレンジカフェアリスの参加者の方にも協力していただいたり、当日も観に来てくださったり。練馬区で不登校やひきこもり、発達障害家族会を開催している「灯火」からも、担当の方が参加して会の紹介をしてくださいました。

 資料として不登校についての相談窓口の情報や、映画の舞台となっている長野県下伊那郡喬木(たかぎ)村のパンフレットも用意して自由に取ってもらえるようにしました。

 当日は私があたふたしている間に皆さんが動いてくださったので、本当にありがたかったです。交流会も三浦監督が映画にはならなかった部分のお話をしてくださったり、参加者からも率直な感想や質問が出て、和やかな雰囲気のうちに終了しました。

 いつもは高齢者が集うことが多いむすびですが、これを機会に新たな繋がりもできたらいいなと思っています。協力してくださった皆さま、参加してくださった方々、そして三浦監督に心より感謝申し上げます。

さなぎ交流会リサイズ.jpg

三浦監督リサイズ.jpg

ドキュメンタリ―映画「さなぎ 〜学校に行きたくない〜」上映会&交流会

2019年4月24日(水)

sanagi_flyer表リサイズ.jpg 練馬区光が丘の介護事業所「NPOむすび」で5月19日(日)の午後にドキュメンタリー映画「さなぎ〜学校に行きたくない〜」の上映会と三浦淳子監督を交えた交流会を開催することになりました。

『南信州伊那谷の自然につつまれて一生懸命に遊ぶ少女の輝きとそれを見守る母親の心の軌跡を14年間にわたって見つめたドキュメンタリー』

 上映後には三浦淳子監督のトークと監督との交流会を予定しています。また、練馬区の子育てや不登校についての相談窓口、家族会等についても情報提供できればと考えています。

 詳細は下記のとおりです、興味のある方はご参加ください。

 「さなぎ 〜学校に行きたくない〜」をともに観る会
   上映会
(103分)&交流会 

 日時:219年5月19日(日) 13:30〜

 場所:NPOむすび 練馬区光が丘3-9-3 2F

   参加費:600円(上映会のみ) 700円(交流会込)

 定員:30名

 主催:NPOむすび 協力:まちかどシネマ 

 問合せ:NPOむすび 03-6904-3275 mail:musubiclub@yahoo.co.jp


 

光が丘図書館での講座

2019年4月23日(火)

図書館利用者の会講演チラシリサイズ.jpg 4月13日(土)の午後、光が丘公園内にある光が丘図書館にて、光が丘図書館利用者の会主催の高齢者医療・介護関連の連続講座 第3回として「知って安心・成年後見制度の実際」と題したお話をさせていただきました。

 お天気も良く、お出かけ日和の土曜日でしたが、40名近い方にお集りいただきました。

 このお話をいただいた時に、どのような内容にしたら良いのか、色々と悩みました。最初は制度そのものや理念、利用の仕方等についてお話ししようかと考えましたが、そのような話は他でも聞く機会はあると思いましたし、私が地元の光が丘でお話をする意味はなんだろうと考えた時に、後見人が実際にどのような活動をしているのか、現実にどのようなことが起こって、どのように対応したのか、といった実例をお話ししたほうが、皆さんに成年後見制度をより身近に感じていただけるのではないかと思い至り、制度や利用の仕方については大まかなことだけをお伝えして、詳しいことは練馬区社会福祉協議会の権利擁護センターほっとサポートねりまで作成している「成年後見制度ガイドブック」をお配りして見ていただくことにしました。

 そして、私が後見人等としてお手伝いしている方について、実際にどのような支援をしているかをお話ししました。職業婦人だった方には毎回名刺をお渡ししてご挨拶すること、金銭管理について工夫している例、お墓の改葬をした例、そして麻雀がお好きなご婦人のために、有料老人ホームで麻雀大会をしたこと等々。

 その中で一番お伝えしたかったのは、いざご家族の判断能力が不十分になって、成年後見制度を利用する必要が出てきてから慌てるのではなく、どのような場合に必要になるのか、どのようなことに気を付けて利用したらいいのか、予め知っておくと成年後見制度を上手く使うことができるということ。それから、成年後見制度の利用だけでなく、判断能力が不十分になってしまった方を支援する場合には、その方がどのような性格で、今までどのような生活をしてきたのか、何を大事にしてきたのかといったことがわかるとより良い支援につながるので、ご自身で自分の今までのことや希望することを書いておくことが大事。特に終末期の医療についての意思表示を書面に残しておくことをまずやりましょうということです。

 それから、成年後見制度に関する最近の動向として、利用する際の申立てに必要な医師の診断書が改訂され、福祉関係者が記入する「本人情報シート」の運用が始まったこと。これも本人のことを知ることによって、よりふさわしい後見人等の選任につなげようという裁判所の考えの現れです。

 また、後見人等の報酬についても、現在は本人の持っている流動資産の額によって基準が決められていますが、今後は行った仕事についていくらという積み上げ方式にすべきとの通知が最高裁判所から出されたので、変わって来ることと思われます。

 成年後見制度だけではなく、家族信託、委任代理契約、遺言、死後事務委任契約といった備えもありますが、いずれも本人の判断能力がしっかりしている時でないと利用できないものです。自分自身が元気でしっかりしているうちに色々と準備しておくことが大切です。

 今回も反省点がたくさんでしたが、参加者してくださった皆さんが真剣に耳を傾けてくださったことがとてもありがたく、このような機会を作ってくださった光が丘図書館利用者の会に感謝申し上げます。

 

山石敬之さんのコンサート

2019.3.18(月)

 以前もコラムで書いたことがありますが、私の高校時代のクラスメイトである山石敬之さんは、ずっと音楽活動を続けていて、今は池袋「FILD」というライブハウスのオーナーでもあります。

 毎年自分の誕生日である4月8日には必ずライブをやっていますが、節目となる今年は、誕生日前夜の4月7日に還暦コンサートとして、有楽町の「ヒューリックホール東京」という大きなホールでコンサートを行うことになりました。タイトルは「ここに立てば星は輝く」、私の大好きな曲です。

 私が山石さんが音楽活動をしているのを知ったのは、前回の同期会の時(10年前)ですが、同期会をきっかけに彼のライブに足を運ぶようになり、彼の曲とパフォーマンスに元気をもらうようになりました。同級生なので、私と同じ年齢ということですが、いつも全力での歌とピアノ演奏。本番でそのパフォーマンスをするためには、どれだけの日頃の節制や練習、準備が必要なことか!普段のライブでも大変だと思いますが、それをさらに上回る事に挑戦しようとする山石さんの心意気を私は尊敬し、応援したいと思っています。山石敬之さんの渾身の歌とピアノ演奏を体感したい方、ぜひコンサートに足を運んでみてください。もちろん私は行きます!

*山石敬之 One Night Stand 「ここに立てば星は輝く」

 2019年4月7日(日)「ヒューリックホール東京」開演17時

 チケット:前売り5,500円 当日 6,000円 (ワンドリンク500円別)  

      チケットぴあにて発売中

 http://www10.big.jp/~t-town/Y'sFactory/ (Y’sFactory ホームページ) 

 https://www.youtube.com/watch?v=iAKTJS_--dI(You Tubeここに立てば星は輝く)

山石敬之さんコンサートチラシ3.jpg

NPOこれから 任意後見報告会

2019年3月17日(日)

任意後見報告リサイズ.jpg 私が理事を務めるNPO法人成年後見推進ネットこれから は3月9日(土)に第12回定時総会を開催し、全ての議案が承認されて無事終了しました。

 また、総会に先立ち、「これから」が法人として任意後見を受任した方について、担当スタッフによる報告会を行いました。題して「Aさんとの2年4か月、そして死後事務を終えて」

 Aさんは80代後半の男性で、世話をしてくれる身近な親族がいない方です。このAさんの具体的な状況や、「これから」が任意後見契約と委任事務契約を結ぶことになった経緯、実際に行った事務の内容や、お亡くなりになった後の死後事務について、進行役の問いかけに応じるかたちで話を進めました。

  「これから」が法人として任意後見を引き受けることには、複数の人が関わることができ、法人内で相談しながら対応できるというメリットがありました。さらに、お引き受けして感じたこととして、行政とのかかわりが大切であること、本人意思実現のために延命措置、遺言、死後事務について事前に取り決めておくことが重要であることが挙げられました。

 担当者の「Aさんご本人の持っている力に引っ張られるようにして支援させていただいたような気がします」との言葉と、「最初はどのように接して良いかわからなかったけれど、じっくりお話を聴いて、どうしたらご本人の気持ちに寄り添えるかを考え続けたら、次第にご本人からもっと早く来てほしいと言われるようになった嬉しさは忘れられません」との感想が強く印象に残りました。

「これから」が法人としてAさんと関わらせていただいたことで得られた経験はとても大きく、それを今後の活動に活かしていくためには、「これから」という小さなNPOにしかできない強みをあらためて自覚し、それを活かした支援ができるように体制を整えていくことが大切だと感じました。

報告会に参加してくださった50名近い方からは、具体的な話を聴くことができてとても参考になりました、との声が多く聞かれました。

無力感

2019年1月27日(日)

 練馬区の地域包括支援センターから成年後見に関するご相談をいただいた案件がありました。

 在宅で生活していた高齢の男性が脳梗塞で倒れて入院されたのですが、その方の奥様も体調が悪く、ご主人の支援はできないということで、北陸地方在住のお姉様に連絡が行き、そのお姉様が地元と東京を行ったり来たりしてご本人の面倒をみている状況でした。
 そのうえ、ご本人の奥様の妹さんご夫婦が、ご本人の預金通帳とカードを持って行ってしまい、ご本人の入院費等はすべてお姉様が立て替えていました。

 ご夫婦の間には元々色々な事情があったようですが、それにしてもご本人の財産をご本人のために使えないのはおかしいので、地域包括の職員も妹さんご夫婦に、成年後見人をつけて、きちんと必要なものは払ってもらうようにしたほうがいいですよ、と話をしてくださっていました。

 そのような状況で、私がかかわらせていただくようになったのですが、お話を聞く限りでは、ご本人が何もできない状況で、奥様もご本人の支援は難しいのであれば、成年後見人等を就けて、ご本人の財産はご本人のためにきちんと使えるようにするべきだと思いました。

 入院先に伺ってご本人の状況を確認させていただきましたが、その時にはお姉様のお住まいの近くの病院へ転院することが決まっていたので、地元でご本人にふさわしい後見人等を見つけるのがよいだろうと考えました。ただ、ご本人の住民票が練馬区にあるので、最初は東京家裁に申立てするのかと思っていましたが、確認したところ、ご本人が現に居る場所での申し立てになるということで、病院のある地域の管轄の家裁に申し立てればよいことがわかりました。申立人はお姉様にお願いするつもりで、必要であれば私がそちらに出向いて、少しずつ準備を進めようとしていたのですが、奥様の妹婿が、もともと成年後見人を就けることには難色を示していたのが、後見人を就けないと不動産の処分や保険金の受取もできないということは理解されたらしく、今度はご本人の親戚に弁護士がいるので、その人にすべて任せるようにと言ってきたそうです。

 お姉様もご自身が高齢で持病を抱えながら弟さんの支援をしているところに、妹婿から何度も電話で色々と言われて、疲れてしまったということで、結局弁護士がすべてやってくれるならばそれでいい、とご自分で申し立てることは諦めてしまわれました。そのため私がお手伝いすることもできなくなったのです。

 奥様の妹婿がいう弁護士がきちんと申し立てをして後見人が就くのであれば、それで構わないのですが、今までの経緯を考えると、親類の弁護士というのも怪しい気がするし、ご本人の権利が守られるかどうか心配です。

 ただ、私の立場としては、お姉様がもう相手に任せたと言う以上は何もできません。その話を聞いたときは、なんとかもう少し一緒に頑張ってみませんか、とお姉様にお伝えしたのですが、「もういいです。今までありがとうございました」とのことで、結局その後どうなったのかもわかりません。

 目の前に人としての権利を侵害されている方がいるのに、自分にもっとできることはなかったのだろうか…、その後しばらくは自分自身がいかに無力かということを痛感し、悲しいような悔しいような、複雑な思いになりました。

差別がもたらす人権侵害

2019年1月23日(水)

 先日、全国老人福祉問題研究会で国立ハンセン病資料館の儀同政一様から「差別がもたらす人権侵害 〜ハンセン病の史実から〜」というテーマでお話を伺いました。

 元々私の高校時代の同級生が町内会繋がりで儀同さんのことを知っていて、「人権問題についての専門家で、色々なところに講演に行って忙しいらしい」という情報を聞いていたところ、たまたま全国老人福祉問題研究会の1月例会のスピーカーが儀同さん、という案内メールをいただいたので、これはぜひお話を聞いてみたいと参加した次第です。

 ハンセン病はらい菌による感染症で、ノルウェーのハンセン医師が患者の体内かららい菌を発見したことから「ハンセン病」と名付けられました。
 ハンセン病は数千年前からその存在が確認されており、難治性で皮膚と抹消神経に病変が現れるため、顔や体の変形や変色、肢体不自由等により社会の中で特別視され、偏見や差別、迫害の対象になりました。

 明治時代以降も有効な治療薬がなかった時代、国はハンセン病を「不治の恐ろしい伝染病」だとして国民の恐怖感をあおり、「らい予防法」による強制隔離や、自治体や警察、国民を巻き込んで官民一体で行った「無らい県運動」などによって根深くかつ深刻な偏見や差別意識を社会に植え付けました。
 1947年に有効な治療薬プロミンが使用されるようになってから、ハンセン病は治癒する病気となりましたが、その後も強制隔離政策は続けられ、ようやく1996年に「らい予防法」が廃止され、2001年には熊本地裁でらい予防法は憲法違反として、裁判所が人権侵害を認める判決を下しました。

 ハンセン病は結核菌と同じ抗酸菌の一種であるらい菌による普通の慢性感染症で、感染力もさほど強くはないそうです。それがなぜ、これほどまでに社会の中で忌み嫌われ、患者は療養所に隔離されて人間扱いされないという人権侵害が続いたのでしょうか。
 おそらく、病気の性質上、顔や手足が変形するという見た目の問題や、明治時代の富国強兵政策により、働けない者は価値のない人間とする考え方に加え、諸外国からハンセン病を放置している野蛮な国と非難されるようになったことで、先進国に追いつくためにはハンセン病患者をなくさなくてはいけないという国の政策が大きく影響したものと思われます。
 このような考え方は、ナチスドイツの優生思想や日本の旧優生保護法にも通ずるものがあり、今でも日本の社会の中には自分と違う者に対する偏見や差別が根強く残っているように感じます。

 今ではハンセン病の新規患者は1年に1人出るか出ないかという状況ですが、かつてハンセン病に罹って療養所に強制隔離された患者さんの中には、語り部となって自分たちの受けた差別や人権侵害の事実と歴史を後世に伝えようとしている方もおられます。私たち市民も、これからの社会で同じ過ちが繰り返されないように、過去の歴史を知り、正しい知識を得て自分の頭で考えることが大事だと感じました。人は誰も平等で、お互いに支え合って生きていることを忘れてはいけないと思います。

 儀同さんは、穏やかな語り口の中にも芯のある凛とした方だなという印象を受けました。依頼があればどこにでも出向きますとおっしゃっていて、最近では学校の先生や医療関係者、宗教関係の所にも話をしに行かれるそうです。

 多磨全生園の敷地内にある国立ハンセン病資料館にはハンセン病や患者さんに関する資料や迫害の歴史が展示されています。前に一度訪れたことがありますが、久しぶりにまた行ってみようかなと思いました。