診断までの道のり(1)はじまり

2015.10.25(日)

 2014年1月末に体の不調を感じて熱を測ったところ、珍しく38度台あったので、時期的にも、もしかしたらインフルエンザかもしれないと思い、かかりつけの内科を受診。
 検査の結果はやはりインフルエンザA型の診断で、リレンザを処方されました。予防接種はしていたのに…と思いましたが、そういうこともあるだろうと安静にしていたら、熱はすぐに下がったのですが、今度は胸がムカムカして食欲がなくなり、そのうち嘔吐するようになってしまったのです。

  ただ、それはインフルエンザのせいだろうと思って、医師に胃薬をもらってしばらく飲んだところ、お腹の症状もほぼ治まり、やれやれとこれでおしまいのはずでした。 

 ところが、2月の後半になって、また同じような胸のムカムカと嘔吐の症状が出てきたので、今度は近所の消化器系の医師のいるクリニックで診てもらい、最初は胃薬をもらってしばらく飲んだのですが、一向に治まる気配がなく、ほとんど食べられない毎日が続きました。水分を摂ることは心がけましたが、それでも胃がひっくり返るような吐き気が止まりません。

 医師に相談したところ、一度胃カメラ(内視鏡)の検査をしましょうということになりました。途中で吐き気がしたらどうしようと心配しましたが、鼻から細いチューブを入れて、手際よくやっていただいたので、思ったほどの苦痛はなく検査できました。ただ、その結果も、多少の粘膜の荒れの痕跡はあるものの、そんなにひどいものではないとのこと。結局ついた病名(?)は『機能性胃腸炎』の疑い…。おそらく、はっきりした原因がわからないお腹の不調があると、とりあえずこの病名を付けてしまうのだろうなという気がしました。しかも、この病名を付けざるをえない人は増えているそうです。

 モヤモヤした気持ちのまま、漢方を含む胃薬をその後もしばらく飲み続けましたが、症状は変わらないばかりか、今度はしゃっくりが異様に続くようになり、それも医師に伝えたのですが、即座に「関係ありません」と却下(?)されました。

 薬を飲んでもあまりに症状が改善されないので、クリニックの医師も「地域の病院の総合診療科に紹介状を書くので、そちらで詳しく診てもらってください」と、最後は匙を投げた形となりました。

 これが3月の中頃、私の病気はその間にも進行して新たな症状を発症させました。そして、原因追究の道筋は次の段階へと続きます。

診断までの道のり(2)わからない不安

2015.10.30(金)

  地元の中堅総合病院の総合診療科を受診し、今までの経緯と症状を説明したところ、まず検査をしてみましょうとのことで、採血、腹部のエコー検査をしました。しゃっくりについては、内臓が腫れたり、何かができて、それが横隔膜を刺激して出ることもあるということでした。でも結局、腹部のエコーでも原因となるような異常はないとの結果で、また振り出しに戻る状態です。これだけ嘔吐が続いて食べられなくて、体重はどんどん減り、体力も衰えてきているのに、何もないわけがないでしょう?とこちらとしては思いますが、検査をしても異常がないということであれば、本来なら喜ぶべきことなのでしょう。

 次の可能性として消化器でなければ、脳の異常から吐き気が来る場合もあるのでは、ということで、今度は脳のMRI検査をしてもらうことにしました。

 MRI検査はドーナツ型の強い磁場の中に体を入れて、写真を撮るものですが、狭い装置の中に入れられ、ヘッドホンを着けるものの「ガンガン」とかなり大きな音がします。30分近い検査になんとか耐えたものの、終わってからフラフラになってしまい、帰る気力がなくなり、病院のベッドで休ませてもらうことに。そこで栄養剤の点滴を受けて、なんとか起き上がって家にたどり着いたのでした。

 必死の思いで受けた脳のMRI検査の結果も、特に吐き気の症状が出るような異常はなし。そうなると、臓器の異常ではなくストレス等によるメンタルの問題からもこういう症状が出ることがあるので、一度そちらのほうを受診してみてはどうでしょうか、という話が出るのです。

 それについてはまた次に…。

診断までの道のり(3)ストレスとメンタル

2015.10.31(土)

  今回、視神経脊髄炎という神経難病にかかってみて、いかに自分の知らない病気がたくさんあるのか、また、明らかに体に異常が出ていても、その症状や検査結果からは診断がつけられないことが少なからずあるということを思い知りました。

 身体的に可能性がある部分の検査をして異常がないと、次に疑われるのは精神的な部分から身体症状が現れているのではないか、ということ。地域のクリニック、中堅病院各医師が「ストレスはありますか?」と問い、「これだけ検査しても臓器的には今の症状を引き起こすような所見はないので、メンタルな部分からきているのかもしれませんね」と同じようにお っしゃいます。確かに仕事、家庭(ちょうど症状が悪化している時期に家の水回りのリフォームをすることになったり…。)、色々なストレスがないとは言いませんが、夜も眠れているし、自分がウツ的な精神的病(やまい)というのはどうもぴんと来ませんでした。

 精神的な不調が体に出ることは理解できるし、そういう不調を訴える人が増えていることも認識していますが、吐き気程度ならまだしも、胃がひっくり返るような嘔吐と異様に続くしゃっくり…。自分でも違和感を感じつつ、それでも他に頼るところもないので、中堅病院で最初は近所のメンタルクリニックに紹介状を書いていただきました。

診断までの道のり(4)メンタル医療の現実

2016.3.6(日)

  紹介していただいたメンタルクリニックは予約制なので、まずは電話で紹介状があることを伝えて予約を取ろうとしました。その時点で、まず「どうして総合病院からこちらに紹介されるのかしら」とちょっと不審そうな様子で、「こちらのクリニックでは身体的な症状が出ても、治療器具はないので対応できませんけれど、それでもいいですか?」と聞かれました。予想外の突き放したような受け答えに「えっ」とひるみ、しかも予約がとれるのは10日以上後しかないと言われて、それこそ心が折れそうになりつつも、なんとか予約はとらなきゃと思って、日時を決めて電話を切ったのです。

 その後も症状はよくなる気配がなく、私自身もメンタルの予約の日まで待つのが不安になってきたので、急きょ地域の病院の精神科のほうで診てもらえないか相談してみました。そして病院の精神科でも予約をとってもらったのです。

 ところが、今度は右の顔面にピリピリした痺れを感じるようになり、これはやはり脳に何か異変があるのではないかと不安が…。今度は急きょ同じ病院の神経内科を予約なしに受診してみることにしました。

 たどり着いた神経内科には医師が1人しかおらず、丁寧な診療をしているせいもあって順番はなかなか回ってきません。具合の悪い体でうずくまるように座っていること3時間近く。ようやく医師の前で今までの経過や症状について話をしたのですが、「脳のMRIまで撮って特に異常がないのだから、もう少し様子を見てみたらどうですか」と、結局ここでも納得いく説明は受けられませんでした。

 そうなると、やはり最後(?)は精神科しかないのかとは思ったものの、地元のクリニックやその病院の精神科を受診する気持ちは萎えてしまい、インターネット等でよさそうなところがないかと調べたりしました。その結果、あまり遠くない大学病院の心療内科で予約を取ろうと電話をしたところ、5月だったにもかかわらず、「今予約をしても診療日は10月になりますがいいですか」とのこと。これにはびっくり。ただ、こちらの病院は「精神科のほうがまだ早く予約が取れるので、必要ならそちらから回してもらうことも可能ですよ」とのアドバイスをしてくれて、結局はその大学病院の精神科で予約をとり、前の病院にはあらためて紹介状を書いてもらって、いよいよ精神科を受診することになりました。

 

 精神科には後見人等として病院に行ったり医師と話をしたことはありますが、自分自身が診察を受けるのは初めての経験で、やはり少し緊張しました。

 担当の医師に今までの経緯を説明して、ストレス的なことについても自分で感じているところを伝えましたが、その時には顔面の痺れがあったので、「痺れという症状が出ているのであれば、先に神経内科で調べてもらったほうがいいでしょう」ということで、精神科の医師は神経内科に予約をとったうえで、軽い抗ウツ薬を処方して様子をみるようにと言ってくださいました。

診断までの道のり(5)神経内科へ

平成28年4月24日(日) 

 ようやく大学病院の神経内科にたどり着いたころには、食事は一時よりは食べられるようになっていましたが、体重はすでに健康だった頃から10kg近く減り、歩くと右に傾いてフラフラな状態。それでも今まで処方された薬はほとんど飲むのを止めてしまっていました。 

 神経内科の医師にまた一から今までの経過を説明したところ、とりあえずひと通り検査をしましょうということで、脳から首のMRI検査をすることになりました。ただ、検査もすぐにできるわけでも、一度にできるわけでもなく、それなりに時間がかかります。結局初回は検査の予約をして帰ることとなりました。 身体症状はその後もよくならず、ふらつきが増すばかり。結局検査の予約日まで待てずに病院へ行き、点滴をしてもらいました。そして、脳と首のMRI検査も早めてもらうことにし、それと並行して腰椎穿刺という背中に針を刺して髄液を採取する検査も行いました。

  MRI画像の所見から最初に告げられたのは、自己免疫疾患のひとつである多発性硬化症の可能性でした。ただ、似たような症状で違う病気もあるので、その検査のために東北大学に血液を送って調べてもらいましょうということになったのです。

  その時の私は、多発性硬化症については病名は知っていましたが、具体的にどのような病気かという知識はほとんどありませんでした。それでも、今までの体の不調の原因がわかりそうだというだけで、少し気持ちが落ち着いたように感じて「やっと」と「やっぱり」というのが正直な気持ちでした。

入院 (1)確定診断

平成28年5月9日(月)

 MRI、腰椎穿刺、血液検査等の総合的な結果を聞きに病院へ行く日がやってきました。忘れもしない2014年の6月24日です。

 診察室に入ると主治医から「東北大学へ依頼していた検査結果が陽性でした。病名はシシンケイセキズイエンといいます」と告げられ視神経脊髄炎″と書いたメモ用紙を渡されました。

 視神経″ということは目に異常があるということ? 少し前に一度だけテレビでサッカーの試合を眺めていたら、ボールや人が二重に見えたことがあったけれど…すぐ元に戻って今は特に目の不調は感じないけれど…となんとなく腑に落ちなかったのですが、私の場合は視神経ではなくてMRIで見ると首の後ろ、つまり脊髄に病変があるということでした。

 さらに先生の次の言葉は「病名がはっきりしたので、すぐに治療をはじめる必要があります。このまま入院してください」という予想しないもので、思わず「一度帰ることはできないのですか」と半ば懇願口調で聞いてしまいました。頭の中には仕事や家のことが次々と浮かんできて、しかも何も準備してこなかったのに…と入院ということに対する不安がどっと押し寄せたのを覚えています。
 そんな私に対して「診断が確定したからには、一刻も早く治療しないと何があるかわからないので…」と医師は優しく、でもきっぱり対応してくださいました。 

 今まで出産以外で入院したことがない私にとっての、初めての病気による入院生活がここから始まることになったのです。

入院(2)治療

2016年5月24日(火)

 入院して最初は、まず「ステロイドパルス」という、点滴でステロイドを大量に体内に入れる治療が始まりました。
 ステロイドは副腎皮質ホルモンの一種で、炎症や免疫を強力に抑える作用があるので、自己免疫疾患や炎症疾患の治療にはステロイド剤が広く使われています。そして、炎症が強い等症状が重くて早急な対応が必要な場合は、ステロイド剤を短期間に大量に点滴によって体内に注入する治療を行いますが、それを「ステロイドパルス療法」と言っています。

 入院後は心臓や酸素濃度のモニターをつけられ、点滴が入っていることもあってトイレにも一人では行くことができずに、看護師さんを呼ばなくてはいけないので、特に夜中はなんだか申し訳なくてなるべく我慢するという状況でした。トイレに一人で行かれないということがどれだけ不自由で、精神的にも辛いのか、身に染みました。

 ステロイドパルスと並行して、脳、頸椎、腰のMRI撮影、脳波等ひと通りの検査が入っていて、車いすを押してもらってそれぞれの外来病棟に検査に行く毎日が続きました。

 吐き気はその頃にはほぼ治まって、食事も普通に摂れるようになっていましたが、頭の痺れと痛み、ふらつきは残っていました。また、左腕が一時的に痺れて力が入らなくなるという症状もありました。脱力は1分もしないうちに治まって、力が入るようになるのですが、いつ起こるかわからないので、困りました。

 この頃からの頭痛とふらつきはその後も後遺症としてずっと改善されず、いまだに悩まされています。

 

〔視神経脊髄炎の治療としては、次のことが標準的に行われるようです〕

・発症、再発時は早急にステロイドパルス治療を行う。そして、パルス治療開始から数日間経過時点で症状の改善が全くない場合は単純血漿交換を行う。

・パルス治療の後はステロイド剤(プレドニゾロンが一般的:経口)を服用開始し、維持量(15mg〜30mg/日)まで少しずつ減量した後は、15mg以上を最低6か月間服用する。

このあたりからは再発予防の範囲になります。
・ステロイド剤15mg/日で半年以上再発がない場合に、数か月毎に1mgずつぐらいのゆっくりしたペースで減量する(目標は5mg/日)。
・ステロイドの副作用が問題になる場合は免疫抑制剤(イムランなど)を併用してステロイド剤の内服量を減量する(1年間は10mg以上の併用が望ましい)。

注:これらはあくまで標準的な治療ということなので、医療機関や医師、患者さんの状態によって違ってくることをご了解ください。

 

 視神経脊髄炎の場合は、ステロイドを全く服用しないと再発しやすいことがわかっているので、服用する量をどこまで減らせるかは様子を見ながら主治医とも相談して決めることになります。年に何回も再発する患者さんもいると聞いてるのですが、私の場合は発症から2年近く経ちましたが、幸いなことに今のところ再発することなく過ごせています。現在のステロイド服用量は、本当に少しずつ減らしてきて11r/日です。

入院(3)退院へ向けて

2016年6月13日(月)

 ステロイドパルス治療が終わると、頭痛・痺れ・脱力といった症状を緩和する治療が主となります。治療といっても私の場合は薬を色々と調整するしかありませんでした。

 頭痛に効くと思われる薬を処方してもらい、服用してみますが、左耳とその周辺の頭のズキズキとした痛みはほとんど緩和されなくて、夜も一度は寝付くものの、夜中に目が覚めると痛みでなかなか眠れない状態が続きました。冷やすといいのではということで、アイスノンのようなものを借りて当てたりもしたのですが、気休め程度という感じ。

 ある薬を何回か飲んでみて効果がないと、また違う薬を試してみるということで、何種類かの薬を試してみましたが、頭痛にはほとんど効果がありませんでした。 

 一方、この病気になると他にも色々と影響が出るということで、入院中に眼科、歯科、耳鼻科等々ひと通りの科を受診して検査してもらいました。視神経脊髄炎というぐらいなので、目が急に見えにくくなる場合も多いようですが、私の場合は目については多少ドライアイの傾向はあるものの、特に問題はないようでほっとしました。歯についても、ステロイド製剤をずっと飲み続けるということは、抜歯ができなくなると言われて、それでは入れ歯にもできないのか…と変なことが頭をよぎりましたが、それ以後は歯磨きも丁寧にするようになり、歯のケアには気を遣っています。

 ひと通りの検査が終わると、退院がみえてきました。

入院(4)退院したはずが

2016年6月13日(月)

  入院した際には大体4週間程度の入院になるでしょうと言われていましたが、ほぼ3週間で退院できることになりました。

 退院時の状態としては、食欲はもうすっかり回復していましたが、体重は健康時より8sぐらいは減ったまま。左耳周辺のズキズキがずっと続き、何も考えずに歩くと少しずつ右に寄っていく状態。時々左腕が肩から痺れて固まってしまう(力が入らなくなる)こともありました。それでも食事が摂れずに何が原因かわからなくて不安だった何か月かを思えば、気持ちのうえでも随分前向きになることができたように思います。

 その後は定期的に通院して様子を見ることになりましたが、急に目が見えにくくなったり、痺れが強くなったり、力が入らなくなるようなことがあったら、すぐ連絡してくださいと言われました。

 外来では様子の確認と、頭痛に対する薬の調整をすることになりましたが、頭痛については薬を変えても効き目があるものはなく、先生の前に行く度に「またダメでした…」と報告するのもこちらが申し訳ないぐらいになってきました。

 そんな折に、国立精神・神経医療研究センターという神経難病の患者さんを多く看ている病院でセカンドオピニオン外来があるというのを見つけたのです。一度他の医師の意見も聞いてみたいと思って、主治医に紹介状を書いてもらい、そこのセカンドオピニオン外来を受診することにしました。

 今までの経緯や検査データを見てもらい、医師の意見を聞いたのですが、東北大学で検査した結果が陽性ということなので、病気の診断としても間違いないだろうし、その後の治療方針としても妥当なものだろうということでした。後遺症としての痛みについては、やはり薬を色々と試してみて合うものを探すしかないので、なかなか難しいとの話で、そういうものなのかと納得できたような、がっかりしたような気持ちになりました。

 そんな毎日を過ごしていたところ、腕の内側に発疹ができはじめたので、夏だしあせもかしらと思っていたところ、少しずつ発疹が広がってきたのです。ちょうど受診の時だったので、主治医に診てもらったところ、薬疹かもしれないということで、すぐに皮膚科に回してもらいました。すると、やはりその可能性が高いということで、塗り薬をもらうとともに、元の病気でその時に飲んでいた薬について、ステロイド以外の薬疹が出る可能性があるものを別の薬に変えてもらいました。

 それで数日過ぎたころ、今度は腕の力が入らなくなる脱力が増えてきたのです。一時治まってきた脱力ですが、一日に起きる回数が増えたように感じたので、主治医に電話して相談したところ、受診してくださいということになり、病院へ。その場で念のために入院したほうがいいということになり、またしてもそのまま入院。今回は「もしかすると」との予感もあったので、初回よりは心の準備ができていましたが、また舞い戻ってしまったとちょっと落ち込みました。
 それが最初に退院してからほぼ1か月後にあたる8月後半のことでした。

(5)二度目は

2016年7月31日(日)

 二度目の入院は念のための検査(MRI,腰椎穿刺等)が主な目的だったので、最初から1週間程度の予定でした。入院病棟から皮膚科に通い、薬によって薬疹はほぼ治りました。ただ、薬疹が出たときに飲んでいた坑てんかん薬と神経性疼痛の薬を使うことができなくなってしまったので、今まで抑えられていた脱力がまた強くなったのではないかと医師に言われました。色々と難しいものです。

 検査の結果、NMOの再発ではないことがわかってひと安心でしたが、頭の痛みと腕の脱力、ふらつきは相変わらずだったので、退院前に主治医が同じ病院のペインクリニック(麻酔科)を紹介してくださいました。そこでは主に頭の痛みに対する治療を目的にして、薬の調整と首に高周波を当てて血流をよくするということを行いました。退院後は元の病気での神経内科への通院に加えてペインクリニックへも通うことになりました。

(6)難病医療費助成制度

2016年7月31日(日)

 視神経脊髄炎はいわゆる神経難病と言われる病気で、申請して認められれば医療費助成の対象となります。

 難病というのは原因が不明で効果的な治療方法も確立されていないので、長期にわたる療養が必要な場合が多く、その治療費や薬代の負担が大きくなります。そのため難病に対する医療等に係る費用について、医療保険等適用後の自己負担分を助成するのが難病医療費助成制度です。

 私の場合は最初に入院した時点では視神経脊髄炎という病名は指定難病に入っていなかったのですが、類似の病気である多発性硬化症が指定されていて、視神経脊髄炎も申請すれば助成が受けられますよと主治医が教えてくれたので、退院してすぐに区役所へ行って書類を手に入れ、主治医に診断書を書いてもらい申請しました。

 申請が通って医療証が送られてくるまでに少し時間がかかりましたが、その助成のおかげで、毎月の医療費(薬代を含む)が一定限度を超えるとそれ以上は支払わなくてよいことになりました。

 普段の通院ではMRI等の検査でもしない限り限度額を超えることはないので、あまり恩恵を感じませんが、入院時にも適用されるので、その場合は実際にかなりの費用がかかっていても、支払うのは上限額までということで、後に血漿交換療法という透析のような治療のために入院した際にはとても助かりました。明細で実際にかかった金額を見たときには、申し訳ない気持ちにさえなったほどです。

後遺症との闘い(1)ペインクリニック

2016年11月26日(土)

 毎朝、目が覚めると「きょうこそ頭の痛みが消えているのではないか」と一縷の望みを抱き、そしてすぐに現実に引き戻されます。眠っている間は痛みを感じることはなく、痛くて眠れないということも今ではないので、それはとてもありがたいことですが、起きている間は常に頭の左耳付近にひきつるようなびりびりする痛みがあります。そんな痛みとの付き合いも、もう2年以上になるのだとあらためて自分でもびっくりです。

 具合が悪くなって、視神経脊髄炎と診断される前から頭のびりびりする痛みと痺れ、指先の痺れが出てきて、歩くと右に寄っていく状態になりました。入院する前ぐらいからは左腕の付け根あたりが急に痺れて力が入らなくなり麻痺するという症状も出てきました。麻痺は1分もたたないうちに治るのですが、いつなるかわからないという状態でした。また、入院中は夜眠っても頭の痛みで目が覚めて、そのまま眠れなくなることも・・・。 

 入院治療で炎症が治まると、再発予防と残っている痛みや痺れの改善を目指すことになります。再発予防としてはステロイド剤をずっと飲み続けることが大事ですが、その分量については様子を見ながら少しずつ減らしているところです。

 痛みや痺れについては色々な薬を試して効果を見るしかないということで、二度目の入院中に同じ病院のペインクリニックを紹介してもらい、そこで主に薬の調整をすることになりました。

後遺症との闘い(2)痛みと薬

2016年12月11日(日)

 ペインクリニックは薬による治療、神経ブロック、高周波熱を利用した療法、理学療法、心理的療法等々、様々な手段を用いて痛みの緩和を目指します。

 私の場合は腕を刺激すると麻痺が起こりやすいということもあり、注射等はしないで主に薬を調整することで痛みを改善できないかということで、担当医が処方する薬を飲んで様子を見ることになりました。

 入院中から痛みや痺れに対する薬は何種類か出ていましたが、これといって効果があるものはありませんでした。しかも、最初の入院後に薬疹が出たことがあり、その時飲んでいた薬は使えなくなってしまったという経緯もあります。
 ある薬を処方してもらってしばらく服用して、その効果をみるということを繰り返しましたが、結論としてはどれも効果はなし。1年近く通ったあげく「これ以上はどうしようもないですね」ということで、結局ペインクリニックへの通院もやめてしまいました。

 

下記に痛みや痺れの改善のために今まで服用した薬を挙げてみました。

・カロナール:アセトアミノフェン系の解熱鎮痛薬

・テグレトール:抗けいれん・抗てんかん薬

・リリカ:末梢性神経障害性疼痛治療薬

  (テグレトールとリリカを服用している時に薬疹が出たため、これらの薬は使えなくなりました)

・ガバペン:抗てんかん薬(これは今でも服用しています)

・ノイロトロピン:解熱・鎮痛・消炎薬

・トラマール:非麻薬性疼痛治療薬(がんの痛みに使用されることが多い)

・リボトリール:抗けいれん薬(この薬を初めて試す際にいきなり就寝前7錠(1錠=0.5r)で処方され服用したところ、自宅のトイレで意識朦朧となっているところを家族に発見されたというエピソードがあります。その時と次の日ぐらいまでの記憶は私の中で飛んでいます。さすがに処方した医師に電話して、その薬はすぐやめました)

・ノリトレン:三環系抗うつ薬

・サインバルタ:抗うつ薬

・トリプタノール:三環系抗うつ薬 

 抗うつ系の薬が結構入っていますが、うつでなくても神経系の痛みに効く場合があるということで、医師が処方したものです。

 これらの薬を試してみましたが、結局私の頭の痛みや痺れを改善してくれるものはなく、現在飲んでいるのはガバペンという坑てんかん薬だけです。これも効いているのかどうかはよくわからないのが現状です。

後遺症との闘い (3)血漿交換療法

2017年1月28日(土)

 頭の痛みや痺れに対して、ペインクリニックでの薬による痛みの緩和は難しいとあきらめてしばらくした頃、多発性硬化症と視神経脊髄炎の患者会の主催による講演会と勉強会が開かれることを知って、参加してみることにしました。
 専門医による最新の治療や薬についてのお話と、医師を交えた患者同士の情報交換会のような形でしたが、医師の話の中で、一般的には炎症が起きているときにステロイドパルスで効果が見られない場合に行う『血漿交換療法』が、炎症が治まった後の後遺症にも効いた例があるという報告があったのです。

 神経的な痛みというのは、時間が経てば経つほど治り難くなるということを聞いたことがあります。私の場合も発病から1年以上経っていましたし、この治療をしても痛みが改善するとは限らないということは理解できましたが、それでも可能性があるならやってみたいという思いが次第に強くなりました。 

 『血漿交換療法』というのは簡単に言うと、患者の血液を取り出して血球と血漿に分離し、血漿の中の病気の原因となるような物質を取り除く治療法です。
 血漿交換と一口に言っても、目的と方法により何種類かあるのですが、視神経脊髄炎の後遺症緩和に効果がありそうなのは、そのうちの血漿吸着というもので、取り出した血漿をろ過器のようなフィルターに通して悪い物質だけを取り除き、また体内に戻すという方法です。 

 血漿交換療法が後遺症にも効果があるかもしれないという情報は、薬による痛みの緩和をあきらめかけていた私に希望を与えてくれました。ただ、血漿交換療法はその時にかかっていた病院では、後遺症の治療としては行っていないということで、結局勉強会の際に血漿交換の効果を発表していた医師の所属する病院に相談に行くことにしました。

後遺症との闘い(4)血漿吸着のための入院

2017年4月16日(日)

 痛みの後遺症にも血漿交換療法をやっているという発表をしていた医師が所属する病院は、以前セカンドオピニオンを聞いたところだったので、再度これまでのデータ等をもってセカンドオピニオンをもらった医師に相談することにしました。

 その医師は今までの経緯を受けて、これまで試していなかった薬を飲んでみて、さらに血漿吸着も効くかどうかはわからないけれど試してみましょうと言ってくださいました。血漿吸着は入院して週に2回程度受けることができ、全部で5回を目途にやることになりました。

 相談に行ったのが2015年の8月半ばで、入院予定は9月28日からということにしました。期間は4週間程度です。今回は計画的な入院なので、仕事についても算段をつけて、関係先にも前もって連絡をしておくことができました。また、週末は治療も検査もないので外泊が許され、土曜日から外泊して月曜日の夕方までに戻るということを繰り返しました。そのため、必要な手続きや面会をその間にやることもでき、最初の入院のときよりは、だいぶ気持ちの余裕があった気がします。

後遺症との闘い(5)血漿吸着治療

2017年4月17日(月)

 病気が発症して最初に入院してから1年以上過ぎ、今度は後遺症の緩和を目指して血漿吸着療法を試みるための入院をすることになりました。入院後しばらくはその時の体や病気の状況を調べる検査等があって、実際に血漿吸着が始まったのは1週間後。

 血漿交換を行う機器がある専用の部屋に行き、ベッドに寝ながら片方の腕から血液を抜くための針を刺し、反対の腕には戻すための針を刺します。私はこれまで元気な時は採血の際に針を刺しにくいと言われたことはあまりなかったのですが、今回は普通の採血よりもたくさん血液を抜くために、より太い針をきちんと血管に入れなくてはいけないそうで、何度もやり直しということがありました。腕からうまくラインをとれない場合は、首や足首等に針を刺す場合もあると聞き、そうなったら嫌だなぁと思っていましたが、医師が苦労はしたものの、なんとか腕からラインを確保することができました。後は自分の血液が片方の腕から取り出されてポンプによって循環し、血漿と血球を分離してからフィルターにかけられ、血漿中の炎症を起こす元となる物質を取り除いたうえで、体にとって有効な成分が再び反対の腕から体内に戻されるということの繰り返しです。

 1度にどれぐらいの血液を循環させたのかは覚えていませんが、私の場合は1回の血漿吸着に2時間程度かかりました。その間は音楽を聴いたり、テレビやDVDを見ることもできたので、2度目からは見たいDVDを家族に持ってきてもらって治療中に見ていました。確か家にあったハリーポッターシリーズと三谷幸喜脚本演出の舞台「12人のやさしい日本人」だったと記憶しています。治療時間にちょうど見終わるくらいで、普段ゆっくり見られないDVDを見ることができる良い機会でした。
 治療は針を刺すときに少し痛みを感じるぐらいで、特に苦痛もなく終わり、終わった後も体調に大きな変化はありませんでした。

後遺症との闘い(6)リハビリ

2017年5月3日(水)

 血漿交換のための入院中は、血漿交換治療のない日はPT(理学療法士)の先生の指導の下でリハビリを行うことになりました。この頃はまだ歩くときも右に寄っていく状況だったので、少しでもそれを改善できたらということで、病院内のリハビリ室に通って1回30分程度のリハビリを行いました。

 まずは現状を評価し、右による原因を色々と探ってもらいました。まっすぐ立った状態でも、元々左右のバランスが悪いということで、バランスを整えるストレッチや足の筋力を強化する運動、さらには足の指が外反母趾の傾向もあるので、足の指を広げてそれを改善する方法も教えてもらいました。左右のバランスを整えるために、靴に中敷きも入れてもらいました。
 この病気になって以来、頭の痛みもあって、ストレッチ位はしても運動することには臆病になっていたので、きちんとした専門家の指導の下で体を動かせることは、気分的にもスッキリして、とても良い効果があったように思います。
 入院後半になると、有酸素運動ということで、エアロバイクも取り入れて、結構良い汗をかきました。リハビリの帰りに病院内のカフェでお茶を飲むのも楽しみとなりました。

 そうしてリハビリを続けた結果、退院前には最初の頃よりもまっすぐしっかり歩けるようになり、退院後の自分で行うリハビリの方法も教えてもらって、そちらの面では効果を実感できました。