差別がもたらす人権侵害
2019年1月23日(水)
先日、全国老人福祉問題研究会で国立ハンセン病資料館の儀同政一様から「差別がもたらす人権侵害 〜ハンセン病の史実から〜」というテーマでお話を伺いました。
元々私の高校時代の同級生が町内会繋がりで儀同さんのことを知っていて、「人権問題についての専門家で、色々なところに講演に行って忙しいらしい」という情報を聞いていたところ、たまたま全国老人福祉問題研究会の1月例会のスピーカーが儀同さん、という案内メールをいただいたので、これはぜひお話を聞いてみたいと参加した次第です。
ハンセン病はらい菌による感染症で、ノルウェーのハンセン医師が患者の体内かららい菌を発見したことから「ハンセン病」と名付けられました。 ハンセン病は数千年前からその存在が確認されており、難治性で皮膚と抹消神経に病変が現れるため、顔や体の変形や変色、肢体不自由等により社会の中で特別視され、偏見や差別、迫害の対象になりました。
明治時代以降も有効な治療薬がなかった時代、国はハンセン病を「不治の恐ろしい伝染病」だとして国民の恐怖感をあおり、「らい予防法」による強制隔離や、自治体や警察、国民を巻き込んで官民一体で行った「無らい県運動」などによって根深くかつ深刻な偏見や差別意識を社会に植え付けました。 1947年に有効な治療薬プロミンが使用されるようになってから、ハンセン病は治癒する病気となりましたが、その後も強制隔離政策は続けられ、ようやく1996年に「らい予防法」が廃止され、2001年には熊本地裁でらい予防法は憲法違反として、裁判所が人権侵害を認める判決を下しました。
ハンセン病は結核菌と同じ抗酸菌の一種であるらい菌による普通の慢性感染症で、感染力もさほど強くはないそうです。それがなぜ、これほどまでに社会の中で忌み嫌われ、患者は療養所に隔離されて人間扱いされないという人権侵害が続いたのでしょうか。
おそらく、病気の性質上、顔や手足が変形するという見た目の問題や、明治時代の富国強兵政策により、働けない者は価値のない人間とする考え方に加え、諸外国からハンセン病を放置している野蛮な国と非難されるようになったことで、先進国に追いつくためにはハンセン病患者をなくさなくてはいけないという国の政策が大きく影響したものと思われます。
このような考え方は、ナチスドイツの優生思想や日本の旧優生保護法にも通ずるものがあり、今でも日本の社会の中には自分と違う者に対する偏見や差別が根強く残っているように感じます。
今ではハンセン病の新規患者は1年に1人出るか出ないかという状況ですが、かつてハンセン病に罹って療養所に強制隔離された患者さんの中には、語り部となって自分たちの受けた差別や人権侵害の事実と歴史を後世に伝えようとしている方もおられます。私たち市民も、これからの社会で同じ過ちが繰り返されないように、過去の歴史を知り、正しい知識を得て自分の頭で考えることが大事だと感じました。人は誰も平等で、お互いに支え合って生きていることを忘れてはいけないと思います。
儀同さんは、穏やかな語り口の中にも芯のある凛とした方だなという印象を受けました。依頼があればどこにでも出向きますとおっしゃっていて、最近では学校の先生や医療関係者、宗教関係の所にも話をしに行かれるそうです。
多磨全生園の敷地内にある国立ハンセン病資料館にはハンセン病や患者さんに関する資料や迫害の歴史が展示されています。前に一度訪れたことがありますが、久しぶりにまた行ってみようかなと思いました。